▼引退撤回
 栗東・水野編集員の前回のコラム『突然の現役続行』……。競馬ファンと格闘技ファンというのはけっこうカブる傾向にあるだけに(あくまで主観)、このタイトルから、ヒョードルやピーター・アーツの突然の引退撤回を連想された方も少なくないかもしれません。いや、わざわざ異種業界にその例を求めなくても、この競馬の世界においても、テイエムプリキュアの突然の現役続行は記憶に新しいところでしょう。
 2009年の日経新春杯。このレースがラストランと伝えられていた当時6歳のテイエムプリキュアは、11番人気の低評価に逆らって“あれよあれよ”の逃げ切り勝ち。阪神JF以来、実に3年ぶりの勝利を飾ると、その後に現役続行を発表。同年秋のエリザベス女王杯では馬単25万円という記録的大波乱の片棒を担ぎ、それから丸1年後、2010年のエリザベス女王杯で本当のラストランを迎えたのです。生涯37戦のうち、シンガリ負けを喫すること実に11回。それでいてGⅠでも①②着の成績を残し、うち1度は前述の大波乱。引退撤回の一件も手伝って、それはまさしく波乱万丈の競走生活と呼べるものでした。

▼妊娠中に3勝、母として5勝
 ところで水野君のコラムで書かれていたように、日本では、一度繁殖に供された馬が競走馬として復帰できないという厳格なルールがあります。コラムを読み進めてこの一節に触れた時、ふと思い出したのがモリケイのことでした。
 それは美浦トレセン開設直前の出来事。1978年(昭和53年)3月16日の早朝、当時4歳(旧齢5歳)牝馬だったモリケイが、なんと、東京競馬場の馬房の中で子供を産み落としたのです。
 当時の週刊ケイバブック・ニュースぷらざから引用すると……。

<競走馬が仔馬を産む>
 東京の田中和厩舎に所属するモリケイ(父レイバーン、母アビリティ)が16日の朝、馬房で男の子を出産した。その日の朝も担当の厩務員が見たときは何の変わりもなかったが、2時間ほど後に厩舎の扉を開けると、同馬の下に犬のようなものがいるのにびっくり。よく見るとそれが仔馬だったので、呆然としたという。生まれた仔馬は元気で母親とそっくりの星がある馬。とても現役馬から生まれたとは思えぬほどだった。原因は昨年春に御殿場の富士牧場で放牧されていたときのアヤマチだろうといわれている。

 以上。ちなみに、モリケイはこの前年の7月に初出走。3歳の7月という遅いデビューでしたが、この仔馬の出産までに8戦して3勝、2着2回という成績を挙げ、秋には重賞のクイーンSでも5着に健闘しました。水野君が紹介していたウインドインハーヘアやインディアンクイーンには及ばぬものの、モリケイもまた、お腹に仔馬を宿しながらこれだけの成績を残していたのです。そして、同年12月の中山戦を走り終えて休養入り。その休養期間中に起きた前代未聞の出産でした。
 もちろん、競走馬登録を抹消した訳でも、繁殖登録を済ませていた訳でもないモリケイのレース復帰は、ルール上、何の問題もありません。出産から僅か4カ月後、夏の新潟で戦列に戻ったモリケイは、“未婚の母”として走り続け、復帰してからも中央で3勝、地方で2勝の勝ち星を積み重ねます。そして、現役を退くと生まれ故郷の青森・盛田牧場に戻って、今度は正真正銘の繁殖入り。母親として、中央で3勝を挙げたアストリートワン(父カツラノハイセイコ)を送り出します。これは東京競馬場で産み落とした仔馬の9歳下の弟でした。

▼その名も日吉丸
 一方、東京競馬場で生まれた仔馬のその後ですが、父親はもちろん不明、母親も出産時に繁殖未登録とあっては競走馬になれるはずもなく、この騒動の火種となった御殿場の富士牧場で乗馬として供用されることになりました。その名も“日吉丸”。貧しい身分から功成り名遂げた豊臣秀吉の幼名が付けられたのは、生まれながら競走馬としての道を閉ざされたこの私生児に対し、せめてもの慰めだったのかもしれません。
 さて、これはあくまでも仮説になりますが、もしも日吉丸が競走馬になっていたら……。同馬が競走年齢に達した1980年(昭和55年)の時点で、母モリケイはまだ現役。この年1月の中央最終戦を白星で飾ると、その後、地方に移籍して7戦2勝の成績を挙げており、まだバリバリの現役。ひょっとしたら、同じ競馬場で母仔が互いに競走馬として顔を合わせる、そんなシーンが実現していたかもしれません。ちなみに、母仔が4歳差というのは、歴代日本ダービー馬で最も若い母を持っていたタニノムーティエと、その母タニノチェリの年齢差と同じ。若過ぎる母、言い換えれば、繁殖として未成熟な牝馬から生まれても、無事に育てば大成する可能性もあるという証左でしょう。

 最後に、中央競馬で妊娠中の牝馬が出走した例をもうひとつ。モリケイより3年前の1975年(昭和50年)、3歳牝馬のシバカオルが1月15日の東京戦で6着になった後、妊娠していることが判明。急きょ登録を抹消し、4月に仔馬を出産したという記録が残っています。こちらは、前年夏のデビューから7戦1勝の成績を妊娠中に挙げました。しかし、モリケイよりも更に1歳若い3歳での出産とあって、シバカオルが産み落とした仔馬は生後間もなく死亡してしまったそうです。
 その昔、英2000ギニーに優勝したジアグリーバックという馬は母モンストロシティが3歳で出産した産駒だったそうですが、さすがにここまで母体が幼いと、母仔ともに負担の大きな出産だったのでしょう。なお、母シバカオルはその後も繁殖として供用され、牡駒を2頭産んだ記録がありますが、特筆すべき繁殖成績は残っていません。


モリケイの復帰戦。おそらく、二度と見ることはないであろう休養理由 「出産、馬体調整」

美浦編集局 宇土秀顕