日本中の競馬ファンが熱狂したオルフェーヴルのラストランから、早いもので3カ月が過ぎました。衝撃の8馬身差で花道を飾った有馬記念が昨年の12月22日。翌23日に競走馬登録を抹消して、2日後の25日には北海道安平町の社台スタリオンステーションに到着。その後は体力作りなど種牡馬入りのための準備期間を経て、1月の末には乗用馬との試験種付けも無難にクリア。現在は種牡馬として新たな生活をスタートさせています。
 それにしても、現役競走馬として3年4カ月の戦いを終えたばかりのオルフェーヴル。息つく間もなく、今度は種牡馬として〝第二の戦い〟が始まるのですから、サラブレッドの世界とは本当に厳しいもの。「人間の世界だって同じ」、そんな声も聞こえてきそうですが、突き詰めれば、自らの存在まで懸かるサラブレッドの競争は、厳しさという点において、人間社会のそれとはまったくの別次元。オルフェーヴルにしても、これからは並み居る先輩種牡馬たちとの厳しい競争が待っており、3冠馬だからといって決して安閑とはしていられないところでしょう。

 ところで、今年最初のコラムでは3冠馬の花道について触れましたが、今回は、ターフを去ってから迎えた〝第二の戦い〟の中で、歴代3冠馬が果たしてどれだけの足跡を残せたのか、更には、どのような余生を過ごし、どのような形で最期の時を迎えたのか……。ここで振り返ってみたいと思います。

(1)セントライト 1941年(昭和16年)に故郷の小岩井農場で種牡馬入りし、オーライト(天皇賞)、オーエンス(天皇賞)、セントオー(菊花賞)と3頭の平地GⅠ級ウイナーを輩出したほか、中山大障害馬ニュージャパンなども送り出す。小岩井農場が競走馬生産から手を引くと岩手県畜産試験場へと移り、1965年(昭和40年)に同試験場で老衰のため27歳で死亡。

(2)シンザン GⅠ級ウイナーとなった産駒はミホシンザン(皐月賞、菊花賞、春の天皇賞)とミナガワマンナ(菊花賞)の2頭ながら、数多くの重賞勝ち馬を送り出し、輸入種牡馬全盛の時代に内国産種牡馬のエースとして活躍。1972年(昭和47年)から9年連続で内国産種牡馬の中ではトップの成績を修めた。種牡馬総合成績では10位以内が5回、20位以内が13回で、最高位は1978年(昭和53年)の5位。種牡馬引退後は故郷の谷川牧場で余生を過ごし、サラブレッドの長寿記録を更新。1996年(平成8年)7月13日に老衰のため35歳で死亡。

(3)ミスターシービー 初年度の産駒から重賞ウイナーが3頭、2世代目からは皐月賞2着のシャコーグレイドが出たが、それ以降は成績が振わず、GⅠ級ウイナーの輩出は果たせなかった。1999年(平成11年)に種牡馬を引退。種牡馬成績の最高位は1992年(平成4年)と1996年(平成8年)の12位。種牡馬引退翌年の2000年(平成12年)に千明牧場三里塚分場において蹄葉炎のため20歳で死亡。

(4)シンボリルドルフ トウカイテイオー(皐月賞、ダービー、JC、有馬記念)を送り出し、父仔2代での皐月賞・ダービーの無敗制覇を達成。GⅠ級ウイナーはこの1頭だけだが、GⅠで5度入着のアイルトンシンボリなどの活躍により、1994年(平成6年)には種牡馬成績自己最高の6位にランクイン。2004年(平成16年)に種牡馬を引退。2010年(平成22年)に日高のシンボリ牧場から千葉のシンボリ牧場へと移り、同年秋のJC当日には東京競馬場でその勇姿も披露した。翌2011年(平成23年)に老衰のため30歳で死亡。

(5)ナリタブライアン 種牡馬入り2年目の1998年(平成10年)、腸閉塞から胃の破裂を起こして急死。まだ7歳という若さだった。残した2世代の産駒からは皐月賞4着のダイタクフラッグ、阪神JF5着のマイネヴィータ、計7勝を挙げたブライアンズレターなどが出たものの、GⅠ級ウイナーはもとより、重賞ウイナーの輩出も果たせなかった。

(6)ディープインパクト 現役種牡馬であるこの馬については、ここで多くを語る必要もないでしょう。2007年(平成19年)に種牡馬入りして、既に9頭の国内GⅠウイナーの他、仏GⅠウイナーも輩出。初年度産駒が3歳に達した2011年(平成23年)からの種牡馬成績は2、1、1位。そして勿論、まだまだ元気一杯。

 ざっと、こんな結果に。年初めのコラムで触れたように、3冠馬としては〝失意の引退〟となってしまったミスターシービーとナリタブライアンですが、こうして見ると、種牡馬入りしてからも「競走生活終盤の苦境を最後まで引きずってしまったのだなあ」との思いを禁じ得ません。何しろ、6頭の中でGⅠ級ウイナーを送り出せなかったのはこの2頭だけ。また、老衰以外の理由で死亡したのも、やはりこの2頭だけでした。
 特にナリタブライアンは種牡馬入り2年目、まだ7歳という若さでの急死。存命のディープインパクトを除く他の3冠馬の死亡年齢(27、35、20、30歳)と比較するまでもなく、それは、あまりにも早過ぎる最期でした。しかも、腸閉塞の末に胃の破裂を起こしたことが直接の死因。年老いて静かに息を引き取ったとされるシンザンやシンボリルドルフとはあまりにも対照的な、壮絶な最期でした。まさに圧巻だった1994年(平成6年)のあのダービー。最後の直線で、普通ではあり得ないくらい外まで持ち出しながら、後続を5馬身突き放してゴールに飛び込んだあの勇姿を思い起こすと、何とも切ない気持ちにさせられます。

 さて、オルフェーヴルに話を戻すと、来年生まれてくるファーストクロップのデビューが2017年の夏から。その世代がクラシックシーズンを迎えるのが2018年の春。果たしてこのオルフェーヴルが、種牡馬としても絶対的な地位を築きつつあるディープインパクトを脅かすような存在に、いや、そのディープインパクトを凌駕するような大種牡馬への道を歩むことになるのか……。大いに注目されるところでしょう。
美浦編集局 宇土秀顕