各所で報告していますが、昨年の8月末のこと。25年(!)使用した我が家のエアコンが壊れて、完全に機能しなくなりました。そして、そのまま放置。つまりこの夏、自宅では“エアコンなし”で過ごしました。

 エネルギー政策や消費税率引き上げだのについて、ささやかながら何かを訴えよう、なんてことはこれっぽっちも考えておらず、ただ物臭で新製品の購入のタイミングを逸しただけ。まさになんとなく始めた“エアコンなし”の生活だったわけですが、それこそ何とかなるもんです。

 もっとも、日中は自分も家族も外出しますから、問題になるのは明け方と夜に限られるのですが。あと、お客さんを呼べないのも若干、寂しい気もしましたかねえ。

 ところで、その25年使用したエアコンのメーカーではないのですが、最大手のダイキンが東京に住む外国人100人に、「東京の夏の暑さ」をテーマにしたアンケートを実施し、その調査結果を発表していました。それがいろいろと興味深いのです。そもそも調査対象の100人という数字が、統計を考える時にどうか、という問題はあるにせよ、です。

 まず約9割の外国人が「自国よりも東京の方が暑い」と答えているのです。対象者の出身国について詳しい説明はないですが、必ずしも北欧とか北米から来ている人ばかりではなく、「自国より暑い」が大半を占めるのは、やっぱり異様な状況かと思われます。
 で、続いて「東京の夏を暑く感じる理由」のトップはというと、『湿度が高い』こと。中東、アフリカ系の方が、特に湿度を問題にしているようですが、これは大いに納得。そして2位以下にも『夜でも気温が下がらない』とか、『地面がアスファルトで覆われている』などのヒートアイランド現象を引き起こす要因が続いて、これも納得です。

 面白い調査結果なのが、「驚いた日本人の暑さ対策」という質問についての答え。1位の「日傘をさす」、2位の「うちわや扇子を使う」などに続く7位に、何と「エアコンを使用する」が入っていることです。
 いや、だから我が家では今夏、エアコン使わなかったんです、なんてことを言おうってんじゃありません。エアコンのメーカーが行ったアンケート調査で出た答えとして、複雑な感じというか、何だか微笑ましいというか。ダイキンさんだけでなく、メーカー各社がどんなふうに結果を捉えるのか、興味のあるところじゃないですか?

 さて今回本題として取り上げたいのは、その『気温より湿度』といった、いわゆる“感覚”の問題。一般的に「湿度が高いと体感温度が高くなって暑く感じる」わけですが、その程度については、これはもう個人個人の感じ方次第、ということになります。
 一応の目安として不快指数なる指標がありますが、これとて厳密には個人差が生じるのではないでしょうか。なにしろ人によって、感じ方は様々ですから。

 この“感じ方”ですが、ほとんどが“脳”に委ねられているようです。デキの良し悪しではなくて、機能の仕方として。
 ただ、この“脳”の働き方については、少しばかり注意しなくてはならないことがありそうです。

 例えば熱中症対策として促される注意事項に、「十分に水分を摂る」があります。テレビの気象情報や、ワイドショーなどで繰り返されてますね。
 ではどの程度、水分を摂取すればいいんでしょうか。何リットルも飲んで、なお、の場合です。
 これについて「水分を摂りたくなったらその都度、飲む」或いは、「体が欲する毎に水分を摂る」といった答えを耳にすることがあります。なるほどと思いますが、これが危ないところなのです。
 ノドがカラカラに乾いて水をたっぷり飲む。満足いくまで飲めたとしても、実のところ十分な水分補給ができてるかどうかは、怪しいケースがほとんどのようです。それを「もう十分」と思ってしまうのは、“脳”がそのように指令するからです。
 では、「体が欲する毎に摂る」の方はどうかというと、「体が欲している」と感じるのも“脳”ですから、結局は同じこと。脳が勝手に「体は欲していない」と指令を出すとすれば、そのせいで十分な水分補給が阻まれることになりかねません。
 “脳”の指令とは関係なく“体”が欲しているケースというのがあって、これをスルーしてしまうと熱中症になりやすかったりするのだと思われます。
 とりあえず熱中症対策としての水分補給法については、「何があろうと定期的に一定量以上の水分を摂る」という表記が、より正解に近い、のではないでしょうか。

 “脳”の指令によって騙される、惑わされる、そして判断を誤ってしまうようなこと、他のケースでも見られます。

 あとで考えたら、「どうして?」と思えるような詐欺被害などもその一種でしょう。
 『詐欺にあう人とそうでない人の違いは、実際に詐欺師と接触したかしてないかの差だけである』
 みたいな格言(?)を読んだことがあります。
 これ、「誰でも詐欺にあう可能性があるから重々気をつけるように」みたいな、まあ言ってみれば、戒めなのでしょう。
 でも実際、「自分は詐欺にはあわない」と考えていること自体が、“脳”のまやかしかもしれず、そこに気づかない時は危ないかもしれません。

 また、これは詐欺とは違いますが、競馬関係者を取材する現場で、こんなエピソードがあります。
 関係者に2人のトラックマンが同時に取材して、その馬の取捨についての受け取り方が「くる」と「いらない」の真逆だった、というケース。
 別々の“脳”が、同じことを聞いてまったく違う判断をした、ということですね。で、またその馬がハナ差の3着だったりするんです。結果は別にして、実のところどちらが正しかったかわからない、という。笑い話ではなくて、実話です。
 これだけでコラム一本書けそうですが、それはまた別に機会があれば。

 それにしても、そんなに自分の“脳”を疑ってかかってちゃ歩くことすらできない、なんて声が聞こえてきそうです。確かに、書いている自分も不安になってきますからね。
 でも歩行だとか臓器の働きなどは、脳の別の部位が担当するらしいですから、そこはうっちゃっておきましょう。
 要は何か行動を起こす時、の話。勿論、とっさに動かなくてはならない緊急の場合は別として、自分が思うこと感じたことを、ちょっとだけ疑ってみてもいいのかも。
 そんなことを思った2014年の夏でした。

 ほら“心頭滅却すれば”云々と言ったお坊さんが誰だったか失念しましたが、そんな大層な精神性がなくったって、何しろエアコンなしで、今のところは無事に、ひと夏を過ごせましたからね。
 …それとこれとは話が違う?失礼しました。

美浦編集局 和田章郎