新たな年を迎えて1週間、既に東西の金杯も終了しました。〝今さら〟の感もありますが、2015年最終決戦の有馬記念は8番人気のゴールドアクターが好位追走から抜け出して快勝、8年ぶりの関東馬の勝利で幕を閉じました。
 例によって、昨年も美浦の事務所で〝独り観戦〟だった有馬記念。レース後にあれこれと感想を語り合う相手もなく、いつも通り、独り静かに中央競馬最後の一日を終えたのでした。

 さて、その有馬記念ですが、レースは発馬直後にハナを窺ったゴールドアクターを交わしてキタサンブラックが主導権。テンの300m付近でしたが、ここで例年よりもやや早目にペースが落ちました。ちなみに、道中のハロンタイムを見ると13秒台がゼロ(13秒台がない確率は近年ほぼ半々)。したがって、レースの全体像としてはスローの上がり勝負ながら、ジェンティルドンナが優勝した一昨年、オルフェーヴルが優勝した2011年のような、極端な中だるみの競馬とは質の異なるものだったと思います。
 緩急の差が大きくなるよりも、今回のように、序盤から早目に息が入るラップに落ち着いて、そのラップがしばらく持続するというのが、長距離の先行馬には理想的な流れでしょう。過去の有馬記念でいえば、シンボリクリスエスが最初に勝った2002年が昨年のこの流れに近く(馬場は稍重でしたが)、実際にその2002年はブービー人気のタップダンスシチーが2着に逃げ残り、8番人気コイントスが4番手から3着に流れ込んで、3連複で4万円台の波乱となりました。
 果たして昨年も、ある程度前で運んだ馬が上位を占める結果になりました。ピタリとマークを受けながら3着に逃げ粘ったキタサンブラックでしたが、これも見た目ほど厳しい競馬ではなかったということでしょう。

 勿論、優勝したゴールドアクターもこの流れを味方につけた一頭でしたが、それにしても1000万から4連勝でのタイトル獲得はお見事。ちなみに、アルゼンチン共和国杯で重賞初制覇を飾り、大きな勢いを得てのGⅠ制覇といえば、父スクリーンヒーローと同じ軌跡。そして、スクリーンヒーローもジャパンCでは9番人気の伏兵でした。周囲の低評価に反発して、ここ一番で強烈に記憶に残るシーンを演じてみせる……。名優には名優の美学というものがあって、そんな美学が父から子へと受け継がれた瞬間が、昨年の有馬記念だったのかもしれません。

 なお、GⅠ以外からのステップで有馬記念に優勝したのは、毎日王冠から臨んだ1999年のグラスワンダー以来16年ぶり。また、アルゼンチン共和国杯組の勝利となると、その前年、やはりグラスワンダー以来17年ぶり。ただし、98年のグラスワンダーは同レース6着からの有馬記念制覇。同年のアルゼンチン共和国杯優勝馬による有馬記念制覇というのは、今回のゴールドアクターが初めてでした。これまで出走した17頭のうち10頭が5~7番人気と、出れば穴メーカーとして期待されてきたのがアルゼンチン共和国杯優勝馬。そんな穴党ファンの期待に、ようやくこのゴールドアクターが応えてくれたということになります。

 ところで、ゴールドアクターはファン投票の第24位。特別登録馬の中で上位10頭に入ることができず、ファン投票選出以外での出走でした。手元の資料で分かる範囲では、ファン投票選出馬以外の有馬記念優勝馬として名前が挙がるのが、1973年のストロングエイト(27位)、1983年リードホーユー(32位)、1991年のダイユウサク(40位)、1992年のメジロパーマー(17位)、そして、2007年のマツリダゴッホ(19位)。有馬記念優勝後の成績では、GⅡに3勝したマツリダゴッホ、重賞2勝のストロングエイトが目につきますが、GⅠ、あるいはGⅠ級のレースで再び頂点に立った馬はこれらの中にはいません。2015年最後の夢舞台で一躍スターダムにのし上がったゴールドアクターですが、2016年にはGⅠの舞台で堂々と主役を張り、ぜひ夢の続きを演じてほしいものです。

美浦編集局 宇土秀顕

宇土秀顕(編集担当)
昭和37年10月16日生、東京都出身、茨城県稲敷市在住、A型。昭和61年入社。内勤の裏方業務が中心なので、週刊誌や当日版紙面に登場することは少ない。『リレーコラム』から『週刊トレセン通信』となり、内勤編集員という立場で執筆者に残ることは肩身が狭いが、競馬の世界、馬の世界の面白さを伝える、そんなコラムが書けたらと考えている。趣味は山歩きとメダカの飼育。ちなみに100匹ほどいる庭のメダカはただいま全員越冬中。氷の下で身を寄せ合い、ジッと春を待つ姿を覗き込んでは声援を送っています(心の中で)。