8月の東京は片手で数えるほどしか猛暑日がなく、3週間も続けて雨が降った。

 こんなに涼しい夏は記憶にない。観測史上初めてだろうかと思いきや、気温は24年前ほどではなかったようで、連続の雨も40年前には一日及ばなかったらしい。しかし、40年前のことはさすがに覚えていなくても、24年前なら覚えていても良さそうなもの。

 24年前、一体何をしていたんだろうか。過ごしやすい夏などまったく記憶にない。ちょっとその年のダービー馬を調べてみたら、柴田政人騎手悲願の勝利。ウイニングチケットの年だった。

 なるほど、その年は自分がホッカイドウ競馬担当から美浦に転勤になった年。東京の気温が低いのかどうか、そもそもその感覚がなかった。もっと言えば気温どうのこうのではなく、仕事を覚えるのに必死だった。

 あれから、24年。頭は真っ白になって、体重は30キロぐらい増えた。見た目は年齢相応になってきたかもしれないけれど、トラックマンとしての中身が成長できているのかははなはだ疑問だ。

 この夏の競馬はひどかった。福島、新潟の重賞で予想が当たったのは七夕賞のたった1回。毎年、一頭ぐらいは新馬戦で穴をあける馬を見つけられたのに、今年はそれさえなかった。キャリアだけで中身がないといわれても仕方がない。それくらいサッパリ馬券が当たらなかった。

 前から思っていたことではあるのだけれど、我々の仕事が厄介なのは積み上げれば積み上げただけ成果が出るとは限らないこと。努力の仕方が間違っている、という見方もできるけれど、それだけでは説明のつかない、競馬のもっている本質的なものがそういう結果を生むんじゃないかとも思う。

 この夏の福島、新潟の重賞を簡単に振り返れば、先行馬を買っていればよかったということになる。しかし、あれこれ考えて予想をしてしまうとこうは思い切れない。調べれば調べるだけ、過去の結果が頭をよぎって、縛られてしまう。

 そしてキャリアを積めば積んだだけ、昔の思い出がむくむくと頭をもたげてくる。調べて調べて、見事に読みきったかのように当たった時の素晴らしい思い出。その反面、簡単に展開や馬場を重視し過ぎて失敗してしまったという、どうしようもなく苦い思い出。

 純粋で切れ味のある予想や馬券にはこんな経験は必要ないのかもしれない。しかし、あの調べ切ったと納得して馬券を買い、見事に当たった時の快感が忘れられない。だから、みんな時間をかけて、納得できるまで調べるんじゃないかと思っている。

 しかし、馬券に直接は繋がらなくても、しっかり調べて見た競馬とあまり調べずに見た競馬ではその評価の仕方に差が出てくる。1頭1頭の個性を見極めるのにはやはり大事な作業で、先ほどとは逆説的になるけれども先々の馬券には繋がっているんじゃないかとも思う。

 もっとも自分の場合、納得できるまで調べられたという感触が実はもうひとつない。

 出張に行くことでどこか浮ついていたような気がする。

 本来なら貴重な休みを使って、どこに旅行するのか頭を悩ませるところなのに、先立つものがない今年はそれができなかった。

 新潟、福島に出張するのが一番大きな旅行で、あとは実家に何日か帰ったくらい。

 調べているつもりでも、どこか気持ちが入っていなかった。結果的には馬券が当たらず苦しくなって、余計にどこへも行けなくなってしまう。まさに悪循環だった。

 更に雨の日が多かったことで、ただでさえ痛い脚の付け根や腰などがズキズキと痛んだ。腰回りにはべたべたとシップを貼り付けて、何とかごまかしながら過ごす日々。楽しい思い出どころか、ほとんどつらい思い出しか残っていない。

 しかし、月も季節も変わって、今年は文字通り爽やかそうな9月の秋競馬。

 濁った目をしっかりと洗って、夏の苦い思い出は忘れてしまおう。

 開幕週から土日と続く重賞。しっかり調べた上で、澄んだ心で結論を出したいと思います。

美浦編集局 吉田幹太

吉田幹太(調教担当)
昭和45年12月30日生 宮城県出身 A型
道営から栗東勤務を経て、平成5年に美浦編集部へ転属。現在は南馬場の調教班として採時を担当、グリーンチャンネルパドック解説でお馴染み。道営のトラックマンの経験を持つスタッフは、専門紙業界全体を見渡しても現在では希少。JRA全競馬場はもとより、国内の競輪場、競艇場、オートレース場の多くを踏破。のみならずアメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、フランス、イギリス、マレーシア、香港などの競馬場を渡り歩く、案外(?)国際派である。