「全部、森泰斗のおかげなんだよ」

そう話すのは前回のコラムに続いて登場した美浦の小桧山悟調教師。今年夏の福島、七夕賞で厩舎所属のトーラスジェミニが勝利。小桧山厩舎にとっては2011年、スマイルジャックで東京新聞杯を制して以来、実に10年ぶりの重賞勝ちとなりました。そしてこれがJRA通算200勝の区切りの勝利でもありました。レースを終えた後日、師と話をしている際に出てきたのが冒頭のひと言でした。

 「ん?森泰斗?戸崎圭太の間違いでは?」
読者の中にはそう思う人もいらっしゃるでしょうが、これには訳があり、今回はそれを明かしていきたいと思います。ちなみにこのネタ、前回のコラムを書いた時に、次回はこれと決めていたのですが、その後、週刊競馬ブック札幌記念号の「競馬NaviTalk」で赤見千尋さんが取り上げていました。同じような内容になってしまいますが、ご容赦下さい(笑)

 さてトーラスジェミニに話を戻します。今でこそ逃げ、先行馬として競馬のスタイルを確立した同馬ですが、デビュー時から先行できたわけではありません。2018年の春に入厩してきたトーラスジェミニについて当時、厩舎の調教助手だった芝崎智和(現・深山雅史厩舎所属 当時は小桧山厩舎の屋台骨としてスマイルジャックなどを仕上げた)に話を聞くと「この馬は走ってくるよ。馬の見た目が凄くいい。多分エトルディーニュより走ると思う。けど、まだちょっと大人し過ぎるかな」と、辛口で知られる同助手が当時準オープンに在籍し、重賞でも好走歴のあった先輩を引き合いに出して素質を評価していました。エトルディーニュとて足元が無事ならもっと走れたと思いますが、実際その実績は既に超えているのだから芝崎助手の慧眼も見事です。
 
 中団から3角でついていけなくなってしまったデビュー戦を経て迎えた2戦目。この日は福島競馬にスポット参戦していた森泰斗騎手に騎乗を依頼。しかし、南関東の名手をしても結果は出ず、「大人し過ぎる」トーラスジェミニは後方まま10着に敗れてしまいます。デビュー2戦、まったく見せ場らしい見せ場もありませんでしたが、続く3戦目に変化が訪れます。「気持ちの問題だけだと思います。森泰斗騎手がびっしりと追ってくれたので、これで変わればいいんですが」と、当時同馬を担当していた堀内岳志(現・技術調教師 前回に続いて登場)がレース前に話した通り、その日のトーラスジェミニはスタートして自分から進んでいくように先行。最後こそ甘くなって7着に敗れたものの、これまでとは一変の行きっぷりを見せたのです。前向きな闘争心が芽生え、先行馬トーラスジェミニが誕生した瞬間でした。

デビュー当時の成績。最初の2戦と、森騎手が乗った後の3戦目以降でまるで位置取りや競馬ぶりが変わったのがわかる

 「あの競馬で光が見えたし、未勝利は勝てると思ったね。そこからこんなにたくさん勝つとまではまだ思わなかったけど(笑)」
小桧山師がそう感じた通り、トーラスジェミニは続く未勝利戦で2番手から抜け出して快勝。デビュー4戦目、森騎手が乗ってから僅か2戦で結果を出したのです。その後の活躍、競馬ぶりはもう説明するまでもないでしょう。時に逃げ、時に先行し、木幡育也騎手や田辺騎手、原騎手でも勝利を挙げ、とうとう戸崎騎手とのコンビで重賞を制しました。

 「あそこで泰斗がビシッと気合を入れてくれたおかげで馬が変わったよね。前から離されて上位争いとは関係ないところでも最後まで一生懸命追ってくれた。あれがなかったら勝ち上がるのがもっと遅かったかもしれないし、下手したら目覚めないまま終わっていたかもしれない。勿論、今回はスタッフがいろいろと工夫して一生懸命仕上げてくれたし、レースも圭太がうまく乗ってくれた。けど、今のトーラスがあるのも、この重賞勝ちも、もともとは泰斗のおかげなんだよ」

 確かに森騎手が乗った一戦は結果が出なかったかもしれません。しかし、あの一戦がターニングポイントとなり、その後の活躍につながったと小桧山師は森騎手への感謝を口にします。

 「武豊騎手が乗るとフォームが良くなる」、「ルメール騎手が乗った後は馬のダメージが少ない」なんて話はよく聞きます。以前、小島茂之厩舎に所属していたレッドジェノヴァは勝負どころでズブさが目立つ馬でしたが、モレイラ騎手が乗った北海道150年記念では持ったまま上がって行って快勝。「あれで体の使い方が良くなった」と小島茂之厩舎所属の鈴木一成調教助手が語る同馬は、その後京都大賞典で2着、エリザベス女王杯で4着するまでに出世しました。

 ネットなどでは「〇〇騎手からの乗り替わりは買える」と、ちょっと前騎手を批判めいた感じで書かれていることがありますが、もしかしたらそれは「その騎手が乗ったことで馬が格段に良くなったから」なのかもしれません。これについては先述した「競馬NaviTalk」内で赤見さんも「たった一度騎乗しただけでガラッと変えてしまう。トップジョッキーたる由縁」と書き記しています。名手の腕によって馬が変わる瞬間を見逃さないようにしたいものです。

 

美浦編集局 赤塚俊彦
1984年7月2日生まれ。千葉県出身。2008年入社。美浦で厩舎取材を担当。
前回同様、今回も名古屋に本店を置く某有名カフェで1時間足らずで校了(笑)ちなみに文中に出てくるエトルディーニュはトーラスジェミニの馬主でもある柴原氏の所有馬であり、トーラスジェミニはエトルディーニュで得た賞金で購入したというのも面白い話。つまり、もっと言えばトーラスジェミニの重賞勝ちはエトルディーニュの活躍が縁にもなっているのです。札幌記念を見るにGⅡで勝ち負けするにはもうひと皮剥けてほしいところ。さて、今週の毎日王冠はどんな結果になるでしょう。