NHKの情報バラエティー番組に『あさイチ』というのがあります。
 通常、月~金曜日の午前8時15分から10時まで(国会や高校野球の中継があるケースは短縮)の放送。朝の連続テレビ小説が午前8時スタートになった2010年に始まった、かと記憶しています。
 その中の企画、特集コーナーに
〝教えて推しライフ〟
 というものがありました。
 「ありました」と過去形にしたのは、あくまで不定期の企画だったものが、なんと明日からコーナー化されることになったらしいから。

 当コラムでは前々回の『ときめきの断捨離』へのアプローチ法のひとつとして、前回に『セレクト3方式』について書きました。それに続く今回のテーマとして〝推し〟について取り上げると予告しましたが、前回のコラムをアップしたのが5週以上も前ですので、あさイチの内容変更とは無関係ですので誤解(?)のないように。

 ともあれ、〝推し〟の対象となる定義について、あさイチでは、〝熱く情熱を注いで応援している「人物」または「キャラクター」を指す〟としているそう。それについてはなるほどなあ、と思いますけど、そもそも定義以前の話で〝推し〟という表現。いつから定着したのか判然としないのです。
 個人的な印象では、昭和の頃にはあまり聞いたことがなかった気がしていて、となるとやはりアキバ系(この言い方は古いな)のサブカルチャー関連語かな?程度の認識でいました。萌えキャラ(これまた古いか?)とか、或いは〝推しメン〟という言葉から、いわゆる〝秋元システム〟に代表されるアイドルさん達とかが対象になるのかな、と。
 てことは、自分にはあまり関係のない用語と思い、特に反応していなかったのに、ここ数年、「どうも違っているな」と感じ始めたのです。

 というのも、自分の中で上記の〝推し〟を主張する人たちというのは、当然、男性が主体でしたが、このところ知り合いの女性、それも複数が、〝推し〟を熱く語るのです。対象となるのは男の俳優さんだったり、ミュージシャンだったりするのですが、その関わり方を見聞きしているうちに、「これを突き詰めると、もしかするとセレクト3方式を極めることになりはしないか」と思い到りました。
 きっかけはその中の2人-それぞれは知り合い同士ではない-が似たようなことを主張していて、軽く心に刺さったから。簡略して言ってしまえば、
 「〝推し〟を持つことは、生きる希望を持つ、ということ」
 みたいなこと。

 古い話になりますが-
 今の仕事に着いて最初に思ったのは、できる限り対象となる馬や関係者に特別な肩入れをすることはせず、客観的に競馬を見つめるように心がけよう、ということでした。「ジャーナリスト足る者は~」みたいな崇高(?)な意識があったわけではないですが、予想を軸にした〝情報〟が重要な商品である以上、インサイダー取り引きめいたことを疑われるようなマネだけはできない、しちゃいけない、と言いますか。

 同様に、クラブ法人に出資する、なんてことも自重してきました。例えばの話、朝日や毎日といった新聞社の社員さんが、「某電力会社の株でボロ儲け」みたいな話が漏れ伝わってきた場合、ちゃんとした記事が書けるかどうか疑わしい。いや勿論、株を購入すること自体をどうこうは言えませんよ。ですが、少なくとも記者さんが株購入を発表するってのは好ましいことではないでしょう。私どもも、年度代表馬や顕彰馬の投票に手心を加えた、みたいな疑いをかけられては申し訳が立たない、とか思ったりしたわけです(無論、廃業すれば話は別ですが)。

 ま、そこまで極端な話ではないにせよ、そんなような意識ベースで競馬を観ることに慣れ切ってしまうと、競馬を始めた当初のドキドキワクワク感というか、ほとばしる熱い思い、というのか、が徐々に薄れ、どこか醒めた感じになることがなくもない。要するに、予想で〝推す〟ことはあっても、自分の中の〝推し〟が足りてないのです。そして、それを無理やり求めても、難しい事情もありました。
 その大きな原因となったのが、美浦所属馬の不振です。特に2000年以降の10年間は藤沢和厩舎の馬を覗くと、活躍馬のほとんどが栗東所属馬。競馬の話題の中心地が完全に西になってしまった。わかりやすい例を挙げれば、ダービー馬が09年のロジユニヴァース1頭だけですから。「活躍馬に肩入れしない」って何のこと?みたいな。肩入れしようにも、それに相応しい馬がなかなか見つからなかったのです。

 キャリアが20年を過ぎて、そのあたりを明確に自覚するようになると、大袈裟でなくいよいよ心の均衡に破綻が生じるか?くらいになってくるわけですが、ちょうどそのタイミングで起きたのが東日本大震災。そして、その翌々週、ドバイワールドCを日本馬として初めて勝ったのがヴィクトワールピサでした。
 前述の2000年代の栗東隆盛を牽引した一人、角居師の管理馬ですから、当時はむしろ憎っくき相手(?)だったわけで、特に思い入れがあった馬でもなかったのです。が、この時のドバイワールドCの勝利が「競馬にはこういう人智を超えたものがある」ということを、はっきりと思い出させてくれたのは間違いなかった。

 そして自分のキャリアを見つめ直してみて、その時その時に、シンプルに『セレクト3方式』でピックアップしてまとめることができるのではないか、と思い到ったのです。ヴィクトワールピサで言えば、〝人生の転機になった3頭〟の一頭になりますか。
 その後、個人レベルで角居師とやりとりすることになったことも、前述した「〝推し〟を持つのは、生きる希望を持つ、ということ」にもつながるのかなあ、と。
 また、17年~20年のアーモンドアイもそんな一頭になりました。これはもう関東馬ですし、国枝師ですしで、もう迷うことなく〝推し〟で通して幸せな時間を過ごすことができましたが、やはり〝推し〟には生きる希望、みたいなものがあるのだろうと、実感として思うところがあります。

 というわけで、これはもう間違いなく『セレクト3方式』を選ぶ際の、ひとつのヒントになるであろう、と確信した次第。まず〝推し〟の対象となるかどうか、を考えてみることをお奨めする理由です。
 そしてまた競馬の場合、自分勝手に様々な〝推し〟を持てるということが、大きな魅力のひとつでもあります。特に物言わぬ馬が対象であれば、誰からも咎められることはありませんから。堂々と、自信を持って〝推し〟ができるはず。
 人生の節目節目に〝推し〟が必要になったら、是非、競馬を絡めていただいて、元気に楽しく過ごしていただければなあ、と心の底から思うばかりです。

美浦編集局 和田章郎

和田章郎(編集担当)
昭和36年生 福岡県出身 AB型
編集部勤務ながら現場優先、実践主義。競馬こそ究極のエンターテインメントと捉え、他の文化、スポーツ全般にも造詣を深めずして真に競馬を理解することはできない、がモットー。着々と一連の手続き進行中ではあるものの、緊急事態宣言のせいで各方面へのご挨拶がままならないのが悩みのタネ。そうノンビリもしていられないとはいえ、ご迷惑もかけられないしで…。まったくこの新型コロナってヤツは…。