前号で予告(?)しました通り、今回は〝ときめきの断捨離(私発信の認定はまだ?のようですが)〟のバリエーションについて。

 で、のっけからの質問形式で恐縮ですが、
 「無人島の一冊」
 という言葉があるのをご存じでしょうか?

 どういう事情でそうなるのかはひとまずさておいて、あなたが無人島でたった一人で過ごすことになるとしましょう。そこで読みたい本は何か?持っていきたい本は何かを問うような場合に使う言葉です。
 「座右の書」に似ているようでいて、ちょっと違うモノ、と言っていいでしょう。

 同じように、
 「無人島の一枚」とか「無人島の一本」
 もあります。
 やはり一人ぼっちの無人島に、LPレコードを持っていくとしたらどのLPか。映像作品は?
 LPはわからない?ならCDでもいいです。ビデオも古いですからDVDとしましょうか。とにかく、たった一人ぼっちになった時に楽しめる娯楽ツールは何か、という話。
 「レコードとかCDって、無人島で電気はどうするんだよ」
 なんて突っ込みは忘れていただいて、勿論「ソーラーパネルで」との返答に「じゃあスマホでいいんじゃないの」なんて不毛な会話も避けるとして━。

 この問い、即答できますか?
 「できる!」
 と断言できる方というのは、様々な人生経験を積み、いろいろ試行錯誤したうえで好みを特定できるようになった達人か、逆に目にするもの耳にするものに、まだまだ限度がありながらも抜群の感性を持った若い人達か、でしょうか。
 それとも、もっと単純に言うと、人生を達観した人々かな?

 いずれにしてもこの「無人島シリーズ」は、断捨離の究極の在り様であって、簡単に答えられる問いではないと思います。そもそも、簡単にその域に達することができるなら、断捨離に悩むことなどないでしょう。

 ただ、ちょっと立ち止まって自分と向き合い、無人島シリーズを考えてみることには意味はありそうです。それで結局、堂々巡りに行きついてしまうのですが…。
 例えば「一番好きなサラブレッドはどの馬ですか」なんて質問がありますね。さすがに同業者に聞かれることはありませんが、一般のファンの皆さんからは、たまに「最も印象深かった馬はなんですか」といったようなことは聞かれることはあります。この答えに窮してしまうんです。絞り切れるものではありません。
 「好きな馬」についてもそうで、「10頭挙げろと言われても悩むのに、一頭に絞れなんて無理」と思ってしまう。質問を想定して、準備しておこうとしても、頭の中で堂々巡りを繰り返す。
 どうしてなのか、と言えば、そもそも〝唯一無二〟の物を選ぶなんてことが難しいのです。だからこそ〝問い〟も成立もするわけですが。

 しかし、面白いことに、上記の10頭をザッと挙げたケースで言うと、明らかに個々に差があることに気付きます。印象度が上位と下位に分けられたり、ランキング的に言えばトップスリーに入るものとそうでないもの、みたいに。この差は何らかの、でも自分の中では明確な理由があるはずで、〝唯一無二〟に辿りつくことはできなくても、そこを追求することはできるのではないか。
 そんなようなことを考えていて、『セレクト3方式』に行きついたのです。

 実はこの考え方のヒント、映画評論家の草分けである故・淀川長治さんの、生前の特別番組にありました。
 長い評論家生活を自身が振り返る番組でしたが、その中で「映画好きになるきっかけを作ってくれた3本」として、無声映画時代の、あまり有名でない映画を挙げたのです。わざわざ「映画好きになるきっかけを作った」と断っている以上、「好きな3本はまた別にある」ということだと勝手に理解して、自分に置き換えてみたのです。するとパッパッと3本を思いついたのですが、なるほど「マイベストとはちょっと違うな」と気付く一方、でもその3本は「自分の映画との向き合い方にも影響しているかも」と思ったりして。

 余談はさておき━
 要するに、この「映画好きになるきっかけを作った映画」と「好きな映画」としてジャンルを分ける方法が、『セレクト3方式』を思いつくきっかけにつながったわけです。
 映画を絡めて言うなら、ミュージカル映画の傑作『サウンドオブミュージック』の楽曲の中に「マイフェイバリットシングス」があります。ほらJR東海の〝そうだ京都、行こう〟のコピーで有名なCMで使われてる曲。あの歌詞の感じ。ちょっとしたことでも、自分の好きなことを考えるだけで幸せな気分になれる、とでもいいますか。これ、ときめく物だけを周囲に置く、という発想にもつながっているかもしれません。

 とにかく、あらゆることをジャンル分けしたうえで、ベスト3を決めてみる。
 競馬の場合ですと、まずは「競馬を好きになるきっかけになった馬」を3頭選んでもいいでしょうし、それを騎手に当てはめてもいい。
 「最強だと思う馬」を選んだうえで3000m以上、2000m、1600m、1200mと距離カテゴリー別に分けてみる。
 また、毛色で分けても、脚質で分けてもいいでしょう。
 このバリエーションの広げ方、他のスポーツでもいくらでもできるはず。例えば野球でも「最強の助っ人外国人」を3人選んでみる、とか、面白くないですか?

 いや、これ、スポーツに限りません。芸術全般はもとより、政治経済芸能界の人間模様もですし、もっと身近な職場の人間関係でも…なんて考えていると、とめどなく想像が膨らんできます。
 そして、そういう作業を経て得られる自分の好みへの理解度、というのものが、自身の感性を磨く手段のひとつとして機能するのではないか、とも思えます。

 さて、この話の流れ。どうですかね。「ときめいたものだけを周りに置く」という意識をベースに〝ときめきの断捨離〟につなげようとすると、逆効果になるのでは?という懸念が出てきませんか。ジャンル、カテゴリー別に〝ときめく〟ものを増やしかねない、となると、その不安は無理もありません。
 でもね、〝究極の唯一無二〟の一歩手前の段階で、有効に作用するであろうことはイメージできるはず。まず数多くの選択肢を削いで、全体をスリムにする作業に他ならないのですから。そのうえで、カテゴリー別に〝セレクト3〟を見比べていくと、もうひとつ先のマイフェイバリットシングスが見えてくる━なんてことはないでしょうか?

 今回ごく簡単に紹介した「セレクト3方式」は、「推し」の理念(?)にも連動しそうで、まだまだ広がりがある、と思ってます。
 それについてはまた次回、ということにして、今回はこのあたりで失礼させていただきます。

美浦編集局 和田章郎

和田章郎(編集担当)
昭和36年生 福岡県出身 AB型
1986年入社。編集部勤務ながら現場優先、実践主義。競馬こそ究極のエンターテインメントと捉え、他の文化、スポーツ全般にも造詣を深めずして真に競馬を理解することはできない、がモットー。3度目の緊急事態宣言発令を前に、自らの行動パターンについてどうあるべきか、を改めて見つめ直しているところです。