今週号に掲載されている各トラックマンの平成のベストレース。

 それぞれの思いが伝わってきて実に興味深かったけれども、あらためて感じさせられたのは自分がいつのまにか年をとったという事か。

 自分が選んだ平成5年のダービーは3番目の古さ。さすがについこないだのことだとは思わなかったけれども……。

 他のトラックマンが出しているレースを見ても自分の無駄に重ねた年月を感じられてしまう。

 あのナリタブライアンのデッドヒートが23年前。ディープインパクトでさえ14年も前。ウオッカでも10年以上も前になるのだから本当に恐ろしい。

 自分が選んだ26年前のダービーはちょうど自分がホッカイドウ競馬から、美浦所属になった年のレースだった。

 10代の頃に読んだ「加賀武見物語」という本の中にアローエクスプレスのくだりがあり、それを読んだ頃から柴田政人騎手に凄く興味を持つように。

 馬券を買える年齢になってからはクラシック戦線で柴田騎手がどの馬に乗るのか、どれを選んでダービーに向かうのかということが気になり、騎乗することになった馬にはついつい皐月賞の頃から単勝を買ってしまうようになった。

 勿論、ダービー本番では必ず単勝、そして別に勝つことに関係のない連勝の馬券まで買っては、ひとりでダメージを受けるようなことが毎年の恒例になっていた。

 それが、よりによって、転勤すぐで久しぶりに目の前で見るダービーだったのだから、変な縁を感じで記者席でひとり興奮してしまった。

 今からすると恥ずかしいような気もするけれど、それを通過しての今の自分があるのも事実。

 若気の至りで済まされるうちに恥ずかしいことをしといてよかったような気もする。

 そしてあの表彰式のすがすがしい拍手と初夏を感じさせる日差し。

 これは原稿にも書いたのだけれども、そこにプレゼンターとして高倉健さんがいたことも興奮させる一因にはなった。

 緑の芝にピンク色のスーツが実に美しかった。

 いろいろ垢のついてしまった今はあんな気持ちでダービーを見ることはない。

 けれども、毎年、ダービーだけはちょっと違った緊張感がいまだにある。

 今年も是非、いい天気で、いいレースを見られればと切に願っています。

美浦編集局 吉田幹太

吉田幹太(調教担当)
昭和45年12月30日生 宮城県出身 A型
道営から栗東勤務を経て、平成5年に美浦編集部へ転属。現在は南馬場の調教班として採時を担当、グリーンチャンネルパドック解説でお馴染み。道営のトラックマンの経験を持つスタッフは、専門紙業界全体を見渡しても現在では希少。JRA全競馬場はもとより、国内の競輪場、競艇場、オートレース場の多くを踏破。のみならずアメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、フランス、イギリス、マレーシア、香港などの競馬場を渡り歩く、案外(?)国際派である。