新元号も無事に決まり、あとひと月足らずで時代は令和に。私の場合、競馬を見始めたのが平成元年なので、平成の歴史がそのまま競馬の歴史ということになる。そこで思い出に残る平成の競馬ということで、ベスト3を挙げてみる。

「第3位」平成8年 高松宮記念

 距離が2000mから1200mに短縮され、GⅠに格上げされた記念すべき回。そのうえ、これまでとは路線をガラリと替え、スターホースのナリタブライアンが出走してきたことで、俄然注目を浴びることになった。今は大阪杯1週前の3月に行われているが、当時はオークス1週前の5月に行われていた。

 西の主場扱いになる中京開催のため、基本的にローカル場への出張がない自分も、現地観戦。とても盛り上がっていたのを覚えている。その日の入場者数を調べてみると、何と74,201人。今では考えられないほどの数である。レースの時間は普段はまったく関心を示さない記者席の従事員(私たちの食事の準備などをしてくれる方)さんが、外にまで出てきてレースを観ていたのが強く印象に残っている。それほどまでに大きな出来事だったのだろう。

 ナリタブライアンの前走は春の天皇賞。すなわち2000mもの距離短縮ということでさすがに道中は後方。直線は必死に追い上げたものの、当時の中京は小回り平坦コースのため、4着が精一杯。陣営には批判的な意見も浴びせられたようだ。ネット全盛の今なら、大炎上ということになっていたのか…。残念ながらナリタブライアンはこのレースを最後に引退することとなった。

 オジュウチョウサンの平地と障害の二刀流というのもビックリだが、いわばこのケースは短距離と長距離の二刀流。施行時期も変わってしまったが、もうこんなローテーションを組む馬は登場しないだろう。結果こそ出なかったが、ワクワク感をありがとうという気持ちになったレースだった。

「第2位」平成6年 日本ダービー

 ダービーを初めて生観戦したのがこの年。勝ち馬はナリタブライアンである。今はそういう制度がなくなってしまったが、自分が入社して10年弱くらいの間は、毎年誰かひとりダービーを観るために東京出張をさせてもらえていた。

 もう25年近く前のことになるので、さすがにピンポイントでしか覚えていないが、本馬場入場の際、大歓声に驚いて早々と返し馬でスタート地点へ向かう馬が多かった中、このブライアンだけは泰然自若。ドッシリとした雰囲気で立ち振る舞っていたのが頭に残っている。レースは直線大外から楽々と突き抜け5馬身差の圧勝。力の違いを見せつけた。2着は4番人気のエアダブリンで馬連は1,020円とマズマズの配当。

 今ほど馬券の種類は多くなかったので、迷うことなく馬連で勝負。自分としては結構な大口投資だったが、それがズバリと的中したため、最終レース終了後は完全に浮かれモード。急きょその日も東京に宿泊。新宿のネオン街をひとりで闊歩し、きらびやかな店に飛び込んだことが思い出される。今のようなネット情報もないだけに完全な飛び込み。今から思えば、よく危ない目に遭わなかったなあとも思えるが…。

「第1位」平成8年 阪神大賞典

 勝ったのはナリタブライアン。ん、私はナリタブライアンのファンなのか? 決してそういうわけではないが、年齢も26歳とまだピチピチしていた時期だし、競馬歴も6年ほど。この頃が一番ワクワクしながら競馬を見ていたのかもしれない(今ももちろん開催日は胸が高鳴る思いになりますが)。

 この年の阪神大賞典は勝負どころからマヤノトップガンとの壮絶なマッチレースが繰り広げられ、今も語り継がれるほどの名勝負となった。記者席から見下ろした観戦エリアは人の頭で真っ黒。押すな押すなでお客さんが揺れ動いていたように感じたし、2頭が並んでゴールインした時には天を突き刺すような大歓声が発生。あまりの凄さにレース後は自分もしばらくの間、放心状態になっていた。

 またこれほどの凄まじい盛り上がりだったレースが、実は土曜日開催だったというのがまた驚き。会社の棚の奥から埃の被った週刊競馬ブックのバックナンバーを掘り返してみると、その日の入場者数は59,896人と記されていた。恐らく今週の桜花賞当日が、これくらいの入りなのでは。西の競馬場の土曜日で、ここまで盛り上がることは、今後恐らくないだろう。それを思うと、当時から競馬の仕事をしていて良かったなあと感じる。

 ということで、思い出に残る平成競馬のベスト3を挙げてみましたが、これらを上回るスーパー1位というのが実はあります。それは、どのレースかと言うと…。

 えー、ここからは宣伝になりますが、4月15日発行の週刊競馬ブックで「トラックマンが選ぶ、平成のベストレース」という特集が組まれますので、それを読んでいただければ嬉しいです!

栗東編集局 青木行雄

青木行雄(調教担当)
昭和44年8月7日生 大阪府出身 A型
1993年入社。坂路調教担当。札幌開催時と西のローカル開催では本紙予想も担当。開催日はMBSラジオ「GOGO競馬サンデー!」、BS11「BSイレブン競馬中継」に出演。日本中がフィーバーした新元号の発表。自分もテレビの前に正座して、しかとその瞬間を見届けました。ただ、菅さんは何故、言葉を発するのと、ボードを掲げるタイミングを同時にしなかったのでしょう。今後、何十年も使われる映像になるだけに、「ボードじゃなく俺を見てくれ」という数秒を作りたかったんですかね。あとNHKも珍しく、しくじった。耳の不自由な方のための手話のワイプは、下の方に出さないと。