血統閑談 #003 嗚呼、晩秋のアーバンシー(水野隆弘)

 11月6日に行われたブリーダーズCフィリー&メアターフG1をラヴズオンリーユーが勝ちました。そしてその快挙から2時間後、今度はブリーダーズCディスタフG1でマルシュロレーヌがハナ差の接戦を制しました。それぞれの父ディープインパクトとオルフェーヴルは現役時の凱旋門賞G1制覇こそなりませんでしたが、ブリーダーズCの歴史に名を残すことに成功したのです。1989年のガルフストリームパーク開催のブリーダーズCクラシックG1をサンデーサイレンスUSAが勝ってから32年、日本の競馬を変えた大種牡馬の祖国への恩返しにもなりました。
 とりわけマルシュロレーヌが勝ったディスタフはブリーダーズCのオリジナル7レースのひとつでもあり、その価値はどれだけ称えても称え切れません。マルシュロレーヌの牝系はフレンチデピュティUSA産駒の母ヴィートマルシェを経て、ダンシングブレーヴUSA産駒で1997年の桜花賞に勝ったキョウエイマーチに遡ります。キョウエイマーチを管理した野村彰彦元調教師は今年の9月13日に亡くなられていますから、あの柔和な笑顔でキョウエイマーチの孫娘の快挙を天国から見守っていたことと思います。キョウエイマーチは5代母が1953年秋の天皇賞に勝ったクインナルビーです。クインナルビーはオグリキャップの5代母としても有名ですね。その祖母で1925年オーストラリア産のシユリリーAUSが輸入されてこの牝系があるわけですから、日本で育って100年近くが経過していることになります。
 キョウエイマーチは2002年生まれのヴィートマルシェを頭に2003年ヴィートヴァンクル、2006年トライアンフマーチ、2007年インペリアルマーチの4頭の産駒を設けました。ただし、牝馬はヴィートマルシェ1頭だけ。本当に綱渡りのように繋いできた牝系といえ、少しの雨が降れば消える熾火のような牝系が、ここで燃え上がったわけです。

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 10月の凱旋門賞G1ではドイツのトルカータータッソが低評価をはねのけて勝ちました。牝系を遡ると4代母アレグレッタの娘に1993年の凱旋門賞馬アーバンシーUSAがいます。1993年11月22日号の『週刊競馬ブック』には故山野浩一さんの「ジャパンカップ出走馬紹介」が載っています。そこからアーバンシーUSAの項を少し引用させてもらいましょう。

 「物語はドイツのシュレンダーハン牧場から始まる。シュレンダーハン牧場のオーナー・ブリード馬アレグレッタはイギリスでレースをして、オークス・トライアルで2着となり、アメリカに買われていってケンタッキーで繁殖に入った。しかし初年度は不受胎で、翌年アイリッシュキャッスルを受胎すると繁殖セールに出された。フランスのサラブレッド生産協会会長ミシェル・エノシュベール氏とエトレアム牧場のマルク・ド・シャンビュール氏は共同でこの牝馬を買い、クレイグ・バンドルフ氏のデナリ牧場に預けた。そして4年後にミスワキを配合して生まれたのがアーバンシーだった。アーバンシーはデナリ牧場で離乳してから本来の生産地であるフランスに渡り、エトレアム牧場で2歳(注:旧表記)を迎えてドーヴィユ・セールに出場した。28万フランでセリ落としたのは日本人の画商M・サワダ氏で、サワダ氏はこのセリで8頭の2歳馬を買っていて、アーバンシー以外にも後のオッカール賞の勝馬アディウオーロワやメシドール賞のテイクリスクが含まれていた。しかし、サワダ氏はこれらの産駒のデビューを待たずに破産し、これらの馬を売らねばならなくなった。サワダ氏と同じジャン・レスボルデ厩舎のオーナーとなっていた香港の貿易商ディヴィッド・ツイ氏は他の2人のオーナーとともにこれらの馬を買い取ってレスボルデ調教師を助けた。
 (中略)
 (凱旋門賞の)その日確かに運命の女神が彼らの奇妙なチームを微笑ましく思ったようだ。第4コーナーで先頭に立ったアーバンシーは楽々とゴールに向かい、有力馬は重馬場に脚をとられ、アーバンシーに続いていた馬たちがバテで追込み馬の進出を妨げてくれた。ようやく抜け出してきたホワイトマズルを相手にアーバンシーは必死で逃げ込んだ。そして首差粘って彼らに初の凱旋門賞の栄光を与えた。「ぼくの父(注:イヴ・サンマルタン)は30年間偉大だったけれど、ぼくは今日偉大なんだ」泣きながらサンマルタン騎手(注:エリック・サンマルタン)はいい、レスボルデ調教師は「私の涙はうれしさと興奮の混じったもので、全ての感情が押し寄せてきて止まらないんです」という。そしてこの涙チームは香港での敗戦を取り戻すために6番目(注:正しくは7番目)の訪問国としてもう一度極東の日本を訪れる。たぶん、この馬は今回の招待馬で最も実力的に見劣るだろうと思う。しかし、吉田照哉さん、土井睦秋さん、岡田繁幸さん、岡田牧雄さん、武勇さん、マデンさん夫妻といった友人たちには申しわけないけれど、私は細い身体でくるくると大きな黒い目を輝かせている天使のようなアーバンシーを応援したい。2400mが得意で先行型。ほとんどやや重よりも悪い馬場で活躍しており、パンパン馬場は得意でないだろう。」

 少しの引用では収まりませんでした。大河小説のダイジェストのようです。当時は1頭につき約1ページを費やして、たっぷりと解説していたのです。このあとジャパンカップG1でアーバンシーUSAはどうなったかというと、中団から一瞬だけ伸びたもののレガシーワールドの8着に敗れ、翌年はアルクール賞G2に勝ち、ガネー賞G1の3着、コロネーションCG1の4着で引退します。
 奇跡のように凱旋門賞G1を勝ったアーバンシーUSAですが、本当の奇跡は引退後に起きました。最初の産駒アーバンオーシャンはガリニュールSG3に勝ち、2番目のメリカーは愛オークスG1・2着、英オークスG1・3着の活躍を見せました。そして、1998年にはサドラーズウェルズを父に迎えた3番仔としてあのガリレオが生まれます。デビューから英ダービーG1、愛ダービーG1、キングジョージ6世&クイーンエリザベスSG1まで6連勝を収め、種牡馬としては21世紀の欧州に君臨しました。更にタタソールズゴールドCG1のブラックサムベラミー、ミドルトンSG3のオールトゥービューティフル、ダイアナSG1のマイタイフーンらが続いたあと、2006年にはシーザスターズが生まれます。父がケープクロス、オーナーはデイヴィッド・ツイ氏の子息であるクリストファー・ツイ氏です。こちらはデビュー戦こそ4着に敗れますが、そこから未勝利、ベレスフォードSG2、英2000ギニーG1、英ダービーG1、エクリプスSG1、英インターナショナルSG1、愛チャンピオンSG1、凱旋門賞G1と8連勝を収めました。種牡馬としても英ダービー馬ハーザンド、英オークス馬タグルーダ、長距離王ストラディヴァリウスと多くの活躍馬を送っています。アーバンシーUSAの競走生活が少し違う結果であれば、今世紀の血統地図は大きく違うものになっていたかもしれないのです。かもしれないというより、ガリレオのいない欧州競馬など想像がつきません。
 アレグレッタの産駒はアーバンシーUSAだけではありません。1991年にはその半妹に当たるアレレトロワを生み、アレレトロワは仏ダービー馬アナバーブルーを生みます。1997年にアレグレッタが生んだキングズベストは英2000ギニーG1に勝ちました。それらに先立ち、1990年にはトレンポリノ産駒の牝馬ターベインを生んでいます。ターベインはベルリン大賞G3などG3に5勝を挙げたテルチュリアンを生みました。ターベインがシュレンダーハン牧場で1999年に生んだ父アカテナンゴのトゥカナはシュレンダーハン牧場の勝負服で2勝を挙げます。トゥカナが2014年に生んだタスクトウイングズは独オークストライアルG2に勝ちました。時計を戻して2011年、トゥカナがシュレンダーハン牧場で生んだティファナはその後シュレンダーハン牧場からポールH.ファンデベルク氏に譲渡され、2017年にアウエンクエレ牧場で独ダービー馬アドラーフルークを父としたトルカータータッソが生まれます。トルカータータッソはファンデベルク氏の勝負服で走り、3歳時には独ダービーG1で2着となり、ベルリン大賞G1に優勝。4歳時はバーデン大賞G1、そして先日の凱旋門賞G1に勝ちます。内で粘ったアーバンシーUSAとは対照的にこちらはというと、そんなに外を回っては止まるだろうという競馬をしながら、直線で驚異的な伸びを見せました。アーバンシーUSAと源流を同じくする別の流れがドイツに残り、アーバンシーUSAから28年経って再び奇跡を起こしたことになります。
 地味な種牡馬を用いて牝系を繋いで力を蓄えていくドイツ式馬産はレットゲン牧場やシュレンダーハン牧場といったドイツの名門だけでなく、アガ・ハーン殿下も取り入れています。ドイツ式馬産の肝は「ゲダルト Geduld =忍耐」といわれます。ドイツの貴族の忍耐がどのようなものかはよく分かりません。日本の中世貴族の忍耐は小倉百人一首に見る通り、おおむね恋しい人に会えないのを耐え忍ぶことなので、そもそも彼我では忍耐の質が違うようにも思えます。
 とはいえ、人の一生より長いスパンで捉えなければならないことも多い牝系の興亡をたどると、競馬は忍耐だということがおぼろげながら見えてくるのではないでしょうか。

栗東編集局 水野隆弘

水野隆弘(調教・編集担当)
昭和40年10月10日生まれ、三重県津市出身
1988年入社。週刊誌の編集、調教採時担当。先日、大腸内視鏡検査を受けてきました。3年連続3回目です。なかなかできることではないと思うのですが、誰も褒めてくれません。ハイランド真理子さんだけが「だいちょーぶ」と激励メッセージをくれました。検査の詳述は避けるとしても、あそこからあんなものが入ってくるのですからつらいです。そして、前日の食事制限から検査に至る準備が長くてつらいです。当日は朝から2リットルの下剤を10数回に分けて飲み、トイレに行くたび看護師さんを呼んで「出たよ! 見て!!」と検分してもらわねばなりません。つらいです。つらいことはつらいですが、見せられる方はもっとつらいでしょう。申しわけなくもありがたいことです。