第1歩目 なぜ競馬記者になったのか(唐島有輝)

 この質問、業界内外問わずけっこう聞かれます。
 一般的に知られている職業ではないですから、疑問に思うのは当然かもしれません。それに加えて業界内からの問いには「なんでこんな世界に……」という自嘲めいたニュアンスも含まれています。
 でも、いざ考えてみると、自分自身でも具体的な理由はよく解らないんです。いつも仕方なくフワッとした感じで答えていました。
 競馬ブックを志望した理由は割とハッキリしています。それは競馬ファンの父が買っていた新聞がブックだったから。毎週ではないですが週刊誌も時々買っていて、私にとっても身近な存在。おかげで先輩方の顔と名前を覚える手間がゴッソリ省けました。
 ただ、大前提の「競馬記者」になりたかった理由、これはやっぱり判然としません。いつも自問自答を繰り返しています。
 「競馬が好きだから?」
 これが一見正解のようですが、何かちょっと違うような……。ただ好きなだけなら趣味でやればいいだけ。今はネットでいくらでも情報が入りますから、わざわざ業界に入る必要性はないでしょう。
 「文章を通じて競馬の魅力を伝えたいから?」
 これは否。学生時代から文系科目は大の苦手。本もあまり読みません。仕事になった以上、今は頑張って書いていますし、言葉もできるだけ増やそうとしていますが、文筆力に自信はありません。
 他にも「関係者と仲良くなりたい」「メディアに出たい」「競馬場に出入りしたい」「ストップウォッチを押す仕事がしたい」「双眼鏡を覗く仕事がしたい」「トラック運転手と間違えた」等々、志望動機が考えられますが、どれも今イチしっくりきません。
 そんなモヤモヤした気持ちのまま5年目に突入した今年のことです。些細なことがきっかけでした。「あれ?もしかしたらコレだったのかも……」と思えることが見つかったんです。

 ここで一旦話を変えます。

 あれは中学3年の面談の時です。担任が私にこんなことを言いました。
「いいか唐島。成長というのは何かを”伸ばす”ことじゃない。何かを”壊して”そこから新しく出てきたもののことを成長と言うんだ」
 実は、その先生のことが前から大ッ嫌いで、そんなことを言われても真面目に取り合わず、すごく丁寧な表現をすると「このお方は何を仰られているのでしょう」くらいにしか思っていませんでした。
 でもなぜか、ふとした時にその言葉を思い出すんです。嫌いな人が言った言葉なのに。あれは一体どういう意味なんだろうと。

 また話を変えます。

 私はシン・ゴジラやエヴァンゲリオンシリーズが大好きで、半年近く前に放送された「プロフェッショナル庵野秀明スペシャル」も楽しく観ていました。その番組内で庵野監督が取材側に対して、このようなことを何度か言っています。
「自分の頭の中だけで考えても、それ以上のものが出てこない」
 これを聞いた時、何か心に引っ掛かるものがありました。そして思い出したあの人の言葉。点と点が一本の線で繋がったような感覚になりました。

 ここで本題に戻ります。なぜ競馬記者になったのか。

 もしかしたら自分の中にある”競馬”というものを”壊して””成長”したかったのかもしれません。
 この世界に入ってから、自分の競馬観は負けてばっかりです。分かりやすい例だと、他のTMの予想見解を読んでいる時にすごく感じます。「その角度の発想は出てこないなぁ」と落ち込む日々。その上、馬券が外れるようなものならノックアウト寸前です。
 他にもあります。レース直後、記者室のモニターにパトロールビデオが流れるのですが、ここでの討論もまた凄い。「○○の勝因はこれか」「ここの△△の動きがポイントだな」とTM同士のやり取りを聞きながら「ふむふむ、なるほど気づかなかった」と心の中で毎度思います。

 でも、その感じも案外嫌いじゃない。ひょっとしたら求めてすらいるのかも。力量不足だった自分の考えを常にアップデートできるこの環境で働けていることに対して、本当に感謝しています。
 反発していたはずだった教師の言葉に実は無意識に影響されていた、そのことに少し複雑な気持ちはありますが、競馬好きとして、競馬記者として日々少しずつでも生まれ変われたらと思いますし、皆様にも見守っていただければ幸いです。

 昨日までの自分の殻を破り、そこから新たに生まれたシン・カラシマが本日鎌倉に上陸します。

注:今週から「トレセン通信」は「唐島TM成長日記」にタイトルが変わります

美浦編集局 唐島有輝

唐島有輝
1993年7月11日生まれ。2017年入社。美浦調教取材班。普段は南Wコースを担当。今夏、初めて函館に滞在。今週末、本州に戻るが、本音はもう少し居たかったかな(笑)。好きな馬はステイゴールドとナカヤマフェスタ。凱旋門賞は悔しくて泣いた。好きな芸能人は朝倉あき。