儚いけれど(吉田幹太)

 自分の場合、励まされたりうれしいことを言われた時より、怒られたことや怒りを覚えたことの方が忘れない。

 言葉を投げかけられた瞬間、いろんな感情が沸き起こって、何日、何週間かはそのことが尾を引いてしまう。何年か経ってもふとした時に思い出す。自分にとっては凄く大きな出来事。

 しかし、それもこの世の中に形として残ることはない。

 悩んだり、落ち込んだりするのはばかばかしいのかもしれない。許せない、と思うのはもっと駄目なのかもしれない。

 でも、そんな達観したような生き方は到底できそうにない。

 先週も土曜日からチャンスを逃し続けて……結局、ひとつも馬券が当たらずに、日曜日の午前中まで尾を引いてしまった。

 それこそ、先週の土曜日、自分の馬券が外れ続けたことなど、世の中のどこにも記録されることなどないのに。

 とにかく、年明けからリズムが悪い日々が続いている。

 緊急事態宣言からの流れはその最たるもの。

 再度の無観客競馬。

 紙の馬券もウマカも使えない。それに加えて売店もすべて閉まっているので、昼ごはんに困る。

 コンビニでたくさん買い込んで、最初のうちはいろいろ選ぶのが楽しいけれど、そのうち飽きてくる。

 その点、昨年のジャパンカップの日は2020年の競馬シーンだけではなく、自分にとっても素晴らしい一日だった。

 お客さんはそのひと月以上前から入っていたけれど、あの日だけは熱気の度合いが違ったような気がする。

 数字や記録には表すことができない熱気。

 歴史に残るレースだったことは後々まで記録されて、言い伝えられるかもしれない。しかし、そこにいた人達の感情や雰囲気はおそらく忘れ去られてしまう。

 あの時の興奮した感情や言葉はなかったことのように消え去ってしまうのか。そんな風に思うとひどく儚いような……。

 そう、先週の土曜日といえば、深夜に東北地方を中心とする大きな地震があった。

 実家のある仙台では10年前より揺れが激しかったらしい。

 その10年前、東日本大震災の余震。さすがにあの日のことはびっくりするくらい覚えている。

 自分の記憶だけではなく、被災した人たちの行動や感情も細かく記録されているような気もする。

 でも、あれから数週間後。関東圏で競馬が中断されていた時、自分たちがどういう生活をして、どんなことを語り合ったのか。

 美浦のトレセンの雰囲気がどうだったのか、水不足、ガソリン不足だったことなどは覚えていても、細かいことまでは思い出せそうで思い出せない。

 日々話している言葉。その瞬間は力があるのに、その効力はすぐに切れてしまうのだろうか。

 やっぱり、儚いような。

 こんな風に感じてしまうのも、馬券の調子が悪いからかもしれない。それとも年齢が大台を超えたからか……。

 ここまで言葉を大事にしないで生きてきたような気がする。

 いずれは何もなかったかのようにすべて消えてしまうのだったら、せめて、自分が元気でいる間はしっかり覚えていたい。

 これからは時間も言葉ももう少し大事にしていくか。

 今、経験しているコロナ禍での非常事態宣言と長く続く無観客競馬。

 レースのことだけではなく、場内の雰囲気、記者席の様子。そして自分の感じたことや話したことなども記録しておく必要があるかも。

 そうすれば残りの時間はもう少し充実したものになるのだろう。

 一方、先週の日曜の午後。久しぶりに馬券がスカッと当たって、一気に気分が高揚してきた。

 馬券が外れたことやつらいこともすっかり忘れてしまった。

 やっぱり、駄目な人間なんだろうか?

美浦編集局 吉田幹太

吉田幹太(調教担当)
昭和45年生 宮城県出身 A型
道営から栗東勤務を経て、平成5年に美浦編集部へ転属。現在は南馬場の調教班として採時を担当、グリーンチャンネルパドック解説でお馴染み。道営のトラックマンの経験を持つスタッフは、専門紙業界全体を見渡しても現在では希少。JRA全競馬場はもとより、国内の競輪場、競艇場、オートレース場の多くを踏破。のみならずアメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、フランス、イギリス、マレーシア、香港などの競馬場を渡り歩く、案外(?)国際派である。