よねさかせん(吉田幹太)

 米坂線と書いて「まいさかせん」ではなく「よねさかせん」。米沢と新潟の坂町を結ぶローカル線である。

 その米坂線に最初に乗るはずだったのは2004年の7月17日土曜日。

 30代までは使い方が良く分からなかった青春18切符。その面白さに嵌って、当時はローカル線に乗ることは勿論、1日にどれだけの距離を行けるかに夢中になっていた。

 土日に夏休みをもらって、前日夜に仙台の実家に帰省。翌朝は午前6時に出発して、まずは仙山線で山形へ。10時前には米沢に着いて、米坂線で日本海側に抜け、夕方には新潟に入る予定だった。

 しかし、当日は雨。それも山形に入るとより強い降りになってきた。

 徐々に嫌な予感が増してくる。

 その3日前の7月14日。梅雨前線の活発な活動による新潟、福島豪雨が発生。信濃川水系の堤防が決壊するなど、長岡や三条では浸水被害が出るほどの災害になっていた。飯豊連峰を貫く米坂線も影響を受け、土砂災害を防ぐための築堤法面が崩落して終日運転を見合わせる事態に。

 それでも翌日には仮復旧して、運転を再開。多少、仮復旧という情報に引っ掛かる部分はあったが、そうそう立て続けに運転見合わせにはならないだろうという読みがあった。

 何とか米沢から定刻通りに発車したものの、途中の今泉駅からなかなか出発しない。

 しばらくするとその先の羽前椿駅から手ノ子駅間で土砂崩れが発生したことが伝えられ、今泉、米沢間の往復運転だけになってしまった。

 結果的には2週間以上不通になるほどの大きな災害で、その後も渓谷沿いを走る路線の辛さか何度も不通になる事態に。

 一応は社会人として働いているだけに、予定が立たないのは何よりもキツイ。

 すっかりハードルの高いローカル線になり、頭の片隅からも消え去りつつあった。

 先週、急に月曜日に入っていた予定がなくなり完全にフリーな状態に。

 しかも、日曜日は新潟で呑む約束があって、月曜日の帰京。

 何だか、少しもったいない。どうしようかと考えていたら、15年前のことがふと思い出されてきた。

 そうだ「米坂線に乗ろう!」

 夏休みではあるけれど、お盆明けの月曜日なら人もそれほど多くはないはず。

 お盆に帰省できなかっただけに、実家に帰るという大儀もある。

 しかし、青春18切符を買うのはもったいない。チケットショップで一日残り券を検索したら、これも意外に高い。

 仙台までの運賃を調べたら4000円ちょっと。

 これなら実費でもそれほど問題はない。

 15年前とは違って、時刻表を広げる手間もなく、スマホで新潟から米沢に直行する快速の時刻も簡単に調べられた。

 世の中は大きく変わっている。

 変わっていないのは自分の状況だけか……などと落ち込んでいたのもほんの僅か。当日は朝の8時過ぎに新潟駅に到着。みどりの窓口でいろいろ説明しながら乗車券を購入。むわっと蒸す新潟駅の高架ホームに上がり、8時40分発の快速「べにばな」に乗り込んだ。

 車内は通勤のお客さんは2割くらい。ほとんどが観光といった感じのお客さんで、席も7割ぐらいしか埋まっていない。ちょうどいい混雑具合だ。

 心配された天気も雨の予報を吹き飛ばして、素晴らしい夏空になってきた。

 豊栄駅過ぎに窓辺の席も確保。

 米坂線内に入ると3日前の台風の影響で、線路脇を流れる荒川の水も溢れんばかりにタップリ。これが山の緑と映えて素晴らしい絶景だった。

 ようやく、ツキが来たか~

 この夏の思い出としては十分過ぎるほど目の癒しになり、いい時間も過ごすことができた。

 15年前、雨の中で見るよりはいい車窓を見ることができたのかもしれない。

 気持ちは完全にリフレッシュできた。

 今週からはバリバリ仕事して、運を味方にします。

美浦編集局 吉田幹太

吉田幹太(調教担当)
昭和45年12月30日生 宮城県出身 A型
道営から栗東勤務を経て、平成5年に美浦編集部へ転属。現在は南馬場の調教班として採時を担当、グリーンチャンネルパドック解説でお馴染み。道営のトラックマンの経験を持つスタッフは、専門紙業界全体を見渡しても現在では希少。JRA全競馬場はもとより、国内の競輪場、競艇場、オートレース場の多くを踏破。のみならずアメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、フランス、イギリス、マレーシア、香港などの競馬場を渡り歩く、案外(?)国際派である。