今になって思うこと(青木行雄)

「自転車で転倒し、母骨折」という姉からの痺れるLINEが入ったのが昨年末。入院を余儀なくされたため、母との2人暮らしで、身の回りのことをすべて自分でするのは難しかった父は、急きょ老人ホームのショートステイに。正月を目前にして実家は空っぽ。私がひとり留守を守る形で年を越すことになった。そこそこ買い込んであった正月用の食材は、年が明けて来てくれた姉と二人でフーフー言いながら、お腹の中に詰め込む事態に。

このドタバタが短期間で終わってくれれば笑い話で済んだのだが、母も父より4つ年下とはいえ80歳。骨がすぐにくっつくわけがなく、入院は長引くことに。また、骨折だけならまだ良かったのだが、入院中に誤嚥性の肺炎を併発してしまうという、とても悪い展開に。インフルエンザが大流行していたため、入院直後に見舞いに行ってからは家族ですら面会をさせてもらえず、しばらく会っていない時期が続いた。「まあ病院に任せておけば」というくらいの気持ちでいたが、姉が病院から呼び出され、かなり深刻な状態であることを聞かされたよう。私もすぐに来るようとの連絡があり、車を飛ばして急きょ大阪へ。

集中治療室に部屋が移っていた母と久しぶりに対面したが、腕には点滴、口には酸素マスク、心拍数などをチェックする24時間モニターの機器がベッドの側に設置され、愕然としてしまう状態。声もほとんど発することができず、ただでさえ細い体は更に弱々しくなっていた。長時間の面会はできず、数分で病室を後にすることとなったが、別れ際に手を握った時は「もうこれが最後かも」と覚悟をしたほど。溢れる涙を抑えることができなかった。

父がいる老人ホームと母の病院はどちらも平野区内にあるので、大阪に行った時はどちらも訪れる流れ。父がショックを受けないよう、オブラートに包む感じで母の状況を報告。姉は気を利かせて動画を撮影し、父に見せたりもしていたが、それも肺炎にかかる前のまだ多少元気があった頃のものを使用。少しでも元気になってもらえるよう努力はしている。ただ、老人ホーム生活も間もなく3カ月。杖を使えば何とか歩けるものの、周りが弱っている人ばかりということもあるのか、日に日に衰えていっているように感じる。少し認知の症状も見られる現状。もう何年も、年間で4回くらいしか実家に帰っていなかったし、ホームに入ってからも休みの月、火曜くらいしか顔を出せない私は、どうやら自分の子供であるという認識がなくなってしまったようだ。このあいだ、帰り際に笑顔で「あんた男前やなあ」と言われたのは、結構キツかった。心が折れてしまう可能性が強く、父の見舞いはハッキリ覚えられている姉と一緒でないと、行きづらくなってしまった。

ひと月前はかなり危険な状態だった母も何とか持ちこたえ、今は集中治療室から一般の病室に移動。右股関節の骨折もかなり回復し、歩行のリハビリに取り組んでいる。ペースト状のものとはいえ、食事も口から取れるようになった。声も週を追う毎に力強さが出てきており、少しずつ良くなっている印象は受ける。ただ、姉からは記憶力が少し低下しているという指摘が。父に続いて母からも子供である認識が消えてしまったら、あまりにも悲しい。ちょっとでも防止になればと思い、ネット通販で頭の体操ができる本を買ってみた。馬鹿にするなと言われそうな気もするが、来週の見舞いの際にそっと差し入れてみようと思う。

もうかなり昔の出来事にはなるが、両親を一度、競馬場に招待しておいて良かった。父はともかく、母はあまり競馬に対していいイメージがなかったようだが、その時は喜んでくれていた記憶がある。姉は結婚していて子供もいるので孫の顔が見られたのは良かったと思うが、自分は何の親孝行もしていない。せめて元気だった頃に、もっと会話をしておくべきだったと思う。一発逆転で結婚の報告でもすれば、ビックリして記憶が甦るかもしれないが…。

栗東編集局 青木行雄

青木行雄(調教担当)
昭和44年8月7日生 大阪府出身 A型
1993年入社。坂路調教を担当。札幌と西のローカル開催時は2歳戦、3歳未勝利戦を中心に本紙予想も担当。開催日はMBSラジオ「GOGO競馬サンデー!」、BS11「BSイレブン競馬中継」に出演。自分がもう48歳なのだから、親は当然かなりの年齢。同年代の人と話をすると「親の具合が」という話題は必ずと言っていいほど出てくる。50前とはそういう歳なのだ。うちの両親は超がつくほどの堅実派で、ある程度の蓄えがあった分、今回の出来事にも対応できている。自分が将来こういう事態に見舞われたらどうなるのか…ちょっと恐怖を感じる。