キリギリスな自分(吉田幹太)

 自分が教えてもらった「アリとキリギリス」は、夏の間に遊びほうけていたキリギリスが、まったく蓄えをしていないままに冬を迎えて困り果てるという話。そして、最後の最後には見るに見かねたアリに助けてもらい、アリにひたすら感謝して冬を無事に越えるといった内容だったと思う。

 美浦に来た頃、某先輩に「その話ならキリギリスがラッキーだよな」と言われ、確かにキリギリスの方がいいなと思ってしまった。本当の話などどうでもいい。馬券を買って取られては都合よくこんな話をしていたように思う。

 おかげでといえるかどうか、ここまで20数年、かなり楽しく過ごせてきたと思う。自分の場合は酒や夜の遊びよりも、基本的にはギャンブル。地方の平地の競馬場は何とか制覇して、他の全国の公営ギャンブル場も半分以上は行ったような気がする。

 当然、ギャンブル場に行くのだから、普通の旅とは少し異なって、お金が増えて帰ってくることもあるのだけれど、ほとんどは想像以上の出費になって帰ってくることになる。ただでさえ長い道のりが、更に遠く感じられ、車窓をぼんやり眺めながらジッと反省する。その時は辛くて、情けない気持ちになるのだけれど、後々、これがたまらなく楽しい記憶になるのだから困ったものだ。

 最近はめっきり、そんな旅はしなくなったけれども、いまだに疲れが溜まってくるとどこかに逃げ出したくなる。そんな時にまず頭に浮かぶのはこのときの記憶。見知らぬ土地で初めて乗る電車に揺られ、初めての駅に降り立つ。新聞を持った怪しげな人たちの後ろついて回り、突然、現れたギャンブル場を見たときの興奮と妙な安心感。これは酒を飲まずにはいられない人のそれとおそらく一緒。想像するだけでも何事に替えがたい快感があるのだから、半分は病気なのかもしれない。

 唯一、自分にとって救いなのは博打が公営ギャンブルに限られることだろうか。うるさい部屋の中で遊ぶパチンコにはほとんど興味がない。これが、一応の秩序を保って何とか身を持ち崩さずに過ごせている最大の理由かもしれない。

 それでも40代後半になるまで生活を改めず、アリのように貯えることは考えなかったのは一緒。キリギリス同様に遊びほうけていても、最後は誰かが助けてくれる。そんな風に心のどこかで思っているのかもしれない。

 ここのところ病院に行く回数が自然と増えてきた。行くたびにあそこが悪い、ここが悪いと指摘されて、今では日々、数種類の薬を飲まされる羽目に。父の晩年、毎日、10種類くらいの薬を飲んでいたのを見て、大変そうだなとひとごとのように見ていた。それが、10年も経たずして同じような状況になりつつある。

 今がいろいろ変えるチャンスかもしれない。やはり、体が無事じゃないと、考え方もよろしくなくなってくる。どこか少し怒りっぽくなって、あと少しのところで馬券もハズレていってしまうような……いやいや、そんなことより何より、この年齢から人の世話になりっぱなしではいかにも情けなさ過ぎる。まだ、それなりに体が動くうちにいろいろ考えて、生活を立て直さなければいけない。

 今からアリになる訳にはいかないが、キリギリスなりに将来を見据えることは大事だろう。そうすれば10年以上は旅行も楽しめそうだ。

 そもそも本当の「アリとキリギリス」は結局、アリに見放されてキリギリスは朽ち果ててしまうという凄惨な話。

 そうならないように、今更、この話を肝に銘じて、まずはもうそこまできている冬をやり過ごそうかと思っています。

美浦編集局 吉田幹太

吉田幹太(調教担当)
昭和45年12月30日生 宮城県出身 A型
道営から栗東勤務を経て、平成5年に美浦編集部へ転属。現在は南馬場の調教班として採時を担当、グリーンチャンネルパドック解説でお馴染み。道営のトラックマンの経験を持つスタッフは、専門紙業界全体を見渡しても現在では希少。JRA全競馬場はもとより、国内の競輪場、競艇場、オートレース場の多くを踏破。のみならずアメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、フランス、イギリス、マレーシア、香港などの競馬場を渡り歩く、案外(?)国際派である。