『花の命は……』(宇土秀顕)

 〝秋の華〟と書いて秋華賞。JRAホームページの特別レース名解説によると、秋華とは中国盛唐の詩人・杜甫が漢詩の中で用いた言葉とのことです。中央競馬の数あるGⅠ競走の中でも、レース名の雅やかさということなら、やはりこのレースに尽きるのではないでしょうか。その秋華賞は牝馬3冠競走の最終戦として1996年に創設、今年で第22回を迎えます。

 ところで、秋華賞以前に牝馬3冠競走の最終戦に位置づけられていたレースといえば、ご存知のように条件変更前(1976~95年)のエリザベス女王杯でした。更には、それ以前の1970~75年にも3冠最終戦としてビクトリアCが施行されており、牝馬3冠のレース体系も間もなく半世紀に達しようとしています。

 とはいえ、その牝馬3冠競走、最終戦がエリザベス女王杯から秋華賞へとシフトチェンジした1996年を機に、様相が大きく変わりました。
 それを確かめるべく、3冠最終戦の優勝馬が春の2冠でどのような成績を残していたかを改めて振り返ってみると……。

  ●ビクトリアC~エリザベス女王杯     ●秋華賞 
 年度  優勝馬         桜   オ   年度  優勝馬         桜   オ 
 70年  クニノハナ       ⑯   不   96年  ファビラスラフイン   資格ナシ 
 71年  タイヨウコトブキ    ⑨   不   97年  メジロドーベル     ②   ① 
 72年  アチーブスター     ①   不   98年  ファレノプシス     ①   ③ 
 73年  ニットウチドリ     ①   ②   99年  ブゼンキャンドル    不   不 
 74年  トウコウエルザ     不   ①   00年  ティコティコタック   不   不 
 75年  ヒダロマン       不   不   01年  テイエムオーシャン   ①   ③ 
 76年  ディアマンテ      不   不   02年  ファインモーション   資格ナシ 
 77年  インターグロリア    ①   ⑭   03年  スティルインラブ    ①   ① 
 78年  リードスワロー     ④   ⑤   04年  スイープトウショウ   ⑤   ② 
 79年  ミスカブラヤ      不   不   05年  エアメサイア      ④   ② 
 80年  ハギノトップレディ   ①   ⑰   06年  カワカミプリンセス   不   ① 
 81年  アグネステスコ     ⑨   ⑧   07年  ダイワスカーレット   ①   不 
 82年  ビクトリアクラウン   不   不   08年  ブラックエンブレム   ⑩   ④ 
 83年  ロンググレイス     不   不   09年  レッドディザイア    ②   ② 
 84年  キョウワサンダー    不   不   10年  アパパネ        ①   ① 
 85年  リワードウイング    不   不   11年  アヴェンチュラ     不   不 
 86年  メジロラモーヌ     ①   ①   12年  ジェンティルドンナ   ①   ① 
 87年  タレンティドガール   不   ③   13年  メイショウマンボ    ⑩   ① 
 88年  ミヤマポピー      不   不   14年  ショウナンパンドラ   不   不 
 89年  サンドピアリス     不   不   15年  ミッキークイーン    不   ① 
 90年  キョウエイタップ    不   ⑥   16年  ヴィブロス       不   不 
 91年  リンデンリリー     不   不 
 92年  タケノベルベット    不   不 
 93年  ホクトベガ       ⑤   ⑥ 
 94年  ヒシアマゾン      資格ナシ 
 95年  サクラキャンドル    不   不 

 一見しただけで、1996年以降は春のクラシックと密接な関係になったことが分かりますが、優勝馬が春2冠のどちらにも不出走だった確率を数字で示してみると、両者の差は更に明瞭なものになります。その結果が下記の通り。なお、94年ヒシアマゾン、96年ファビラスラフイン、02年ファインモーションは、春のクラシックに出走権がなかった外国産馬なので集計の対象外としています。

【春2冠に不出走だった確率】
 70~95年 → 48.0%(25頭中12頭)
 96~16年 → 26.3%(19頭中5頭)

 上記の通り、1995年までのビクトリアC~エリザベス女王杯当時は、ほぼ2年に1回の確率で、桜花賞にもオークスにも不出走だった馬が優勝。つまり、〝春はクラシックの舞台すら踏めなかった馬が、夏を越えて一気に頂点まで登り詰める〟ということが、さして珍しくない出来事でした。
 ところが、1996以降の秋華賞時代になると、その確率は4年に1回にまで減少。〝春シーズンから高いパフォーマンスを見せてきた馬が3冠最終戦で勝利を飾る〟という可能性がグンと高まったのです。

 更に、優勝馬が春2冠のどちらかで連対していた確率を調べてみると……。

【春2冠のどちらかに連対していた確率】
 70~95年 →24.0%(25頭中6頭)
 96~16年 →68.4%(19頭中13頭)

 ご覧の通り、春2冠での連対確率では3倍近い差が開いています。秋華賞時代に入って、牝馬3冠路線がそれだけ充実したものになったことは間違いありません。

 なぜか? 3冠最終戦が2400mのエリザベス女王杯から距離2000mに、つまり、桜花賞とオークスの中間距離になったことが大きいのでは……、当初はそう思っていたのですが、よくよく調べてみると実はそうでもなさそうです。
 今度は、桜花賞馬とオークス馬の3冠最終戦での成績を見てみると……。

【桜花賞馬、オークス馬の3冠最終戦成績】
 70~95年 → 桜花賞馬  出走19頭で5勝
          オークス馬 出走18頭で2勝
 96~16年 → 桜花賞馬  出走16頭で6勝
          オークス馬 出走18頭で7勝

 1996年以降、確かに桜花賞馬も若干成績を上げていることが上の数字から分かります。ただ、2000m戦に距離短縮されたことで飛躍的に成績を上げたのは、むしろオークス馬の方でした。70~95年は18頭のオークス馬が3冠最終戦に駒を進めながら僅かに2勝、しかし、96~16年は同じく18頭のオークス馬が駒を進めて7勝。つまり、2400mのオークスで世代の頂点に立っている馬の方が、2000m戦になったことでより成績を上げているのです。
 そう考えると、牝馬3冠路線充実の要因は、最終戦の距離短縮といった単純なものではなく、もっともっと奥深い背景があると言えるかもしれません。

 実力馬、実績馬がぶつかり合って火花を散らすのが勝負事の醍醐味ですが、それと同時に、4回に1回くらいは下馬評を覆す新星が現われるのもまた勝負事の面白さ。春とのつながりが薄かった旧エリザベス女王杯当時と比べると、現在の秋華賞は〝いい感じでバランスが取れており、いい感じで歴史を重ねている……〟私にはそう思えます。

 「花の命は短くて……」そんな言葉がこの牝馬3冠路線に似合ったのも今は昔。現在、花の命はけっこう長いものになっているようです。どこかの生命保険会社も言っているように……。

美浦編集局 宇土秀顕

宇土秀顕(編集担当)
昭和37年10月16日生、東京都出身、茨城県稲敷市在住、A型。
昭和61年入社。内勤の裏方業務が中心なので、週刊誌や当日版紙面に登場することは少ない。趣味は山歩きとメダカの飼育。
抜いても抜いても芽を出す雑草と、刈っても刈っても伸びてくる芝との戦いが我が家の〝夏の陣〟。この戦いが終息を迎えると今度は〝秋の陣〟が開戦します。ブロワー片手に落ち葉をきれいに拾い集め「よしっ」と振り向くと、二の矢、三の矢がハラハラと……。相手(ヒメシャラとシラカバ)は着実に成長しているので、このイタチゴッコは年を追う毎に私が劣勢になってきます。諦めて芝の上に座り込み、秋の高い空を見上げながら「何とも長閑な戦いだな」としみじみ。どうかこの空をミサイルが横切りませんように……。