代表馬と優秀馬(宇土秀顕)

 もう、ひと月以上前の話ですが、2015年JRA賞について。ご存知の通り、2015年の年度代表馬にはモーリスが輝きました。一方、性・年齢別のカテゴリーを見ると、そのモーリスが属する4歳以上牡馬の部門では、ラブリーデイが最優秀馬に選出されています。弊社週刊誌にも読者の方からの投書がありましたが、今回のこの結果に違和感を抱いたファンも少なくないようです。
 それは、〝最も優秀だった4歳以上の牡馬がモーリスではなくラブリーデイ〟なのに、〝年度を代表する馬はラブリーデイではなくモーリス〟であるという点。ファンの方々が抱いた違和感はそこに尽きるでしょう。
 ただ、代表馬=最優秀馬かというと、必ずしもそうではないこともある、というのが私の考え。勿論多くの場合、両者はイコールで結ばれるのでしょうが……。
 まず、〝最優秀馬〟とは文字通り最も優秀な馬。これに異論を挟む余地はないでしょう。つまり、最も優秀な成績を残した馬が選ばれるべきです。一方、〝代表馬〟となると輪郭が少しぼやけて、そこに〝主観〟が入り込む余地が広がってきます。たとえば、最優秀馬には成績で僅かに及ばなかったとしても、一年間、常に最前線で戦い、ずっと主役の一頭であり続けた、というように……。その年を代表する馬なのだから、年間を通して〝多くのファンの前に姿を見せる〟、〝多くのファンの話題になる〟、それでナンボ、そんな見方があってもいいのかもしれません。たとえば、骨折しているのに試合に出て、しかもヒットまで打って、〝野球選手は試合に出てナンボ〟と、さらっと言うような感覚です。

 思い出されるのが1991年。この年は、皐月賞、ダービーの2冠を制したトウカイテイオーが年度代表馬と最優秀3歳牡馬(当時は4歳牡馬)に輝きました。ただ、トウカイテイオーは春に2冠を勝ち取ったあと骨折が判明して秋は無念の全休。
 一方、春秋を通し、古馬戦線の主役であり続けた馬がメジロマックイーンでした。年間成績は7戦3勝、G1は1勝だけでしたが、阪神大賞典1着(1番人気)、天皇賞春1着(1番人気)、宝塚記念2着(1番人気)、京都大賞典1着(1番人気)、天皇賞秋1位入線→18着降着(1番人気)、ジャパンC4着(1番人気)、有馬記念2着(1番人気)という成績で、古馬中~長距離G1に皆勤賞、しかもそのすべてで1番人気。ちなみに、降着となった秋の天皇賞は6馬身差で他を圧倒して1位入線、また、ジャパンCでは日本馬最先着も果たしています。
 トウカイテイオーかメジロマックイーンか、この年の〝顔〟として、果たしてどちらがより相応しいか……。1991年はそんなことを深く考えさせられた年でした。

 ところで、昨年のように年度代表馬が自らの性・年齢のカテゴリーで最優秀馬に選出されなかったケースはどれくらいあったのか? 調べてみると、啓衆社賞、優駿賞時代を含む60余年の歴史の中で、以下の5例が見つかりました。

1955年 年度代表馬→オートキツ 最優秀3歳(旧4歳)牡馬→メイヂヒカリ
1961年 年度代表馬→ホマレボシ 最優秀4歳以上(旧5歳以上)牡馬→タカマガハラ
1968年 年度代表馬→アサカオー 最優秀3歳(旧4歳)牡馬→マーチス
2013年 年度代表馬→ロードカナロア 最優秀4歳以上牡馬→オルフェーヴル
2015年 年度代表馬→モーリス 最優秀4歳以上牡馬→ラブリーデイ

 先の3回と後の2回の間に大きな時代の隔たりがあるのは興味深いところですが、昨年も含めた後の2回に関しては、チャンピオン決定戦(G1)の増加がその背景にあると見て間違いないでしょう。モーリスとラブリーデイ、ロードカナロアとオルフェーヴル、それぞれ異なった路線で頂点を極め、両雄が同じ舞台で顔を合わせることはありませんでした。
 一方、先の3回はどうだったのか? 3回ともまだ啓衆社賞時代の話で、勿論、私もリアルタイムで知っているわけではありませんが、1955年と1968年は3歳(旧表記で4歳)牡馬が年度代表馬に輝き、最優秀3歳牡馬には別の3歳牡馬が選出されています。
 まず、1955年はダービー馬のオートキツが年度代表馬に、菊花賞馬のメイヂヒカリが最優秀3歳牡馬に選出されました。ちなみにこの年の2頭の対決は菊花賞1度だけ。優勝したメイヂヒカリに対し、オートキツは10馬身離されての2着でした。
 また、1968年は皐月賞3着、ダービー3着、菊花賞1着のアサカオーが年度代表馬に、皐月賞1着、ダービー4着、菊花賞3着のマーチスが最優秀3歳牡馬に選出されています。この2頭の対決は3冠を含めて計6回。年度代表馬のアサカオーが4勝2敗と勝ち越しています。
 さて、残る1961年ですが、こちらは古馬の争い。ホマレボシとタカマガハラはこの年に5度顔を合わせていたのですが、その対戦結果を見ると……。

●東京杯 (5月)
 タカマガハラ 1着
 ホマレボシ  2着
●東京記念(5月)
 タカマガハラ 1着
 ホマレボシ  2着
●目黒記念(11月)
 タカマガハラ 1着
 ホマレボシ  2着
●天皇賞秋(11月)
 タカマガハラ 1着
 ホマレボシ  3着
●有馬記念(12月)
 タカマガハラ 2着
 ホマレボシ  1着

 上記の通り、1961年の最終戦・有馬記念を迎えるまではタカマガハラが4戦4勝、ホマレボシとの対決で優位に立っていただけでなく、この年の年度代表馬に相応しい戦績を重ねてきました。ところが、最終戦の有馬記念、このたった一度の敗戦で代表馬の栄誉がスルリとその手から逃げてしまったのです。
 ちなみに当時、競馬週報社と競馬研究社により共同刊行されていた『中央競馬ダイジェスト』の一部を紹介させてもらうと……、「昭和36年度の年度代表馬はホマレボシと決定された。タカマガハラとは甲乙のつけ難い戦績で、選考委員会でも激論が戦わされたが、結局、中山グランプリの優勝がきめ手になり~」とあります。やはり、どちらが代表馬に相応しいかで激論になったようです。ただ、残念だったのは、その〝激論〟の中身にまでは触れられていなかったこと。ホマレボシ派、タカマガハラ派、それぞれがどのようなロジックで票を投じたのか、そこが一番知りたい部分だったのですが……。

 ふと感じたのは、現在のJRA賞でも、多くのファンが求めているのはこの〝激論〟の部分ではないかということ。現在は総勢291名ものマスコミ関係者の投票で決まるJRA賞ですが、発表された結果に対して、理由が知りたい、選考の過程が知りたい、そういった声は決して少なくないと思われます。
 さすがに、300人近い投票者が一堂に会して激論を戦わせるのは無理かもしれませんが、それでも、投票者が〝なぜ、この馬に一票を投じたか〟をファンに向けて発信することは可能でしょう。投票権のない私が言うのも何ですが、投票する記者はいずれも競馬に対して高い見識を持った人たち。そんな人たちの選考理由が聞けるとしたら、今まで以上にこのJRA賞が注目され、盛り上がるように思うのですが……。

美浦編集局 宇土秀顕

宇土秀顕(編集担当)
昭和37年10月16日生、東京都出身、茨城県在住。A型
昭和61年入社。内勤の裏方業務が中心で、週刊誌や当日版紙面に登場することは少ない。趣味は山歩きとメダカの飼育。
 最近は家に仕事を持ち帰ることをやめたので、帰宅途中、移りゆく季節の景色を楽しむこともなくなりました。それでも、暗がりの中でほのかに漂う梅の香りに春を実感する今日このごろ。〝梅は匂いよ、木立は要らぬ〟とは言い得て妙。勿論、紅白の梅が咲き乱れる筑波梅林の景色も見事なものですが……。