ダービーの皐月賞馬、ダービーの牝馬(水野隆弘)

 木々の緑が濃さを増し、稲の苗はしっかりと自立をはじめ、麦の穂が枯色に変わってくるといよいよダービーウイーク。競馬ファンにとっては1年の区切り、2歳戦から3歳重賞の数々を経て、長いダービー馬探しの答が出る週でもある。週刊競馬ブックのJRA広告にある通り、東京競馬場ではトークショーに世界のダービーグルメフェアなどイベントが盛りだくさん。ブリティッシュガーデンに、できたばかりのウオッカ像、競馬博物館では「JRA60周年記念 THE DIAMOND JUBILEE 中央競馬の軌跡」と題した特別展も行われ、レース以外にも見どころがたっぷり用意されている。ケンタッキーダービーのオフィシャルドリンクであるミントジュレップは今年も売られるのだろう。ミントジュレップに関していえば、それ自体に文句はないものの、どこまでいってもケンタッキーダービーの象徴。日本ダービーが81回を数える間に独自の飲み物や食べ物、日本ダービー名物といえる何かが育つことがなかったのは残念。たとえば「うちは祖父から3代、毎年日本ダービーの日は東京競馬場で○○屋のうなぎ弁当を食べることになっているのです」というような良き伝統がない。「世界のダービーグルメ」はいいけれど、「日本のダービーグルメ」はないのか?といいたくもなる。ともあれ、ミントジュレップはほとんどバーボンのようなものなので、飲み過ぎにはご注意を。昼酒は回る。

 東京競馬場ばかり盛り上がる一方で、京都競馬場では重賞もないし……という向きも関西には多いかと思うが、京都だって天気が良ければ競馬に最高の季節なのは一緒。芝の緑はきれいだし、日が照っても池を渡る風に吹かれて飲むビールは最高だろうと想像する。私は仕事なので飲んだことがない。そして、日曜の競馬終了後には馬場開放がある。これを楽しみにしている方も多いだろう。今回は「バックヤード開放」もあるそうで、テレビでしか目にすることのない、レースを終えて引き上げてきた馬の枠場や検量室を間近に見ることができるはず。これは滅多にないチャンスですよ。

 さて、今年の日本ダービーのポイントは2つ。ひとつはほぼ毎年のことだが皐月賞馬の2冠達成がなるのかどうか。もうひとつは牝馬の挑戦の成否。皐月賞が中山2000mに固定された1950年の第10回以降、日本ダービーに出走した57頭の皐月賞馬のうち、2冠達成はクモノハナ(1950)、トキノミノル(1951)、クリノハナ(1952)、ボストニアン(1953)、コダマ(1960)、メイズイ(1963)、シンザン(1964)、タニノムーティエ(1970)、ヒカルイマイ(1971)、カブラヤオー(1975)、カツトップエース(1981)、ミスターシービー(1983)、シンボリルドルフ(1984)、トウカイテイオー(1991)、ミホノブルボン(1992)、ナリタブライアン(1994)、サニーブライアン(1997)、ネオユニヴァース(2003)、ディープインパクト(2005)、メイショウサムソン(2006)、オルフェーヴル(2011)の21頭。2着馬は7頭、3着馬は9頭なので、勝率は0.368、連対率は0.491、3着内率は0.649となる。皐月賞馬が1番人気の支持を受けた場合は(16.3.5.4)なので、6割近い確率で勝つことになる。また、1番人気にならなかった場合はクリノハナ(1952)、タニノムーティエ(1970)、ヒカルイマイ(1971)、カツトップエース(1981)、サニーブライアン(1997)が勝っているが、2番人気に限ると(2.4.1.10)と信頼性は著しく低くなる。

 牝馬は2007年のウオッカが戦後初の優勝。近いところではビワハイジ(1996年13着)、シャダイソフィア(1983年17着)、マーブルトウショウ(1981年25着)など、ことごとく牡馬の壁にはね返されていた。それ以前、オークスが春に行われるようになった1953年以降には、ビユーテイロツク(1965年12着)、チトセホープ(1961年3着)、ホウシユウクイン(1958年9着)、セルローズ(1957年8着)、ミスオンワード(1957年17着)、フエアマンナ(1956年6着)、トサモアー(1956年25着)、ミスアスター(1955年19着)、チエリオ(1953年4着)、ミナトタイム(1953年7着)、イチジヨウ(1953年24着)、ダツシングラス(1953年28着)、ジツホマレ(1953年取消)、ブルレツト(1953年取消)と結構な数の挑戦例があって、特に1953年はオークスから1着のジツホマレ以下、2着チエリオ、3着ブルレツト、4着ミナトタイム、6着イチジヨウと上位馬が揃って連闘で臨んでいた。オークスが秋に行われていた1952年以前は牝馬の日本ダービー挑戦は当たり前のことだったようで、第1回からの21年間に110頭の牝馬が日本ダービーに挑んでいる(うち1頭取消)。おおむね毎年5頭が出走していたことになりますね。そのうち勝ち馬はよく知られている通り1943年のクリフジ、週刊競馬ブックで今週号まで短期連載された阿部珠樹さんの「名馬伝承~トウカイテイオーのルーツ」でおなじみ1937年のヒサトモの2頭だけだ。2、3着に入ったのは、アサハギ(1932年3着)、メリーユートピア(1933年2着)、アスリート(1933年3着)、テーモア(1934年2着)、ホウカツミンドアー(1935年3着)、ピアスアロートマス(1936年2着)、サンダーランド(1937年2着)、アステリモア(1938年3着)、トキツカゼ(1947年2着)、ブラウニー(1947年3着)、シラオキ(1949年2着)、タカハタ(1952年2着)、クインナルビー(1952年3着)の13頭。これらのうちトキツカゼ(オークス)、クインナルビー(天皇賞・秋)、シラオキなどは現代まで活気のある牝系の祖として名を残している。第1回以来のトータルで、牝馬は(3.7.7.107)。ほかに取消が3例ある。いずれにしても、勝ち負けするようなら「歴史的」と形容詞がつく名牝と認められるくらいの難事であることは間違いないようだ。

 最後に、あるダービートレーナーの言葉を。「ダービーだけはな、馬主や調教師、騎手、厩舎スタッフみんなが一緒の方向を向いてないと勝てるもんやない」とのことです。

栗東編集局 水野隆弘