不安より期待か

 

 気がつけば、美浦トレセンの大幅な改修工事が始まって4年近くになるらしい。予定では完全に工事が終わるのは4年後の2026年。

 目玉といえる坂路の延伸かつ高低差をほぼ倍増させる工事はもう少しかかりそうだが、南Dウッドコースはできてから2年以上。我々にとって一番、仕事の内容に影響のあった自動計測が始まってからも1年以上経っていた。

 できて、慣れてしまえばあっと言う間。少し前までいた旧スタンドやBウッドコースの記憶も徐々に薄れつつあり、今回、ちょっと調べなければいつから今の状況になったのかも忘れてしまっていた。

 そして、いずれはなくなってしまう北馬場に、いよいよ本格的な工事が始まるようだ。

 南馬場で仕事をしている自分はめった行くことがない。最後に行ったのはいつのことだったか……

 競馬を始めたころに活躍した昭和60年の2冠馬ミホシンザン。会社に入ったあとでも平成2年のダービー馬アイネスフウジン、そしてその2着でのちに宝塚記念を勝ったメジロライアンなどが北馬場で調整されていた記憶がある。本当に強い馬がいる場所といった印象だろうか。

 その後、平成4年にウッドコースができて、翌5年に坂路コースができた。更に平成19年にポリトラックコースもできて、ダートコースしかない北馬場からは徐々に馬が少なくったのは時代の流れそのものと言えるのかもしれない。

 そして、おそらく年内にはほとんどの馬が南か坂路中心の調整になる。

 今でも溢れるほど角馬場に馬が出てきて、ハロー明けのタイミングでは次から次へと追い切りが行われる南馬場。

 より馬が集まることになるかと思うとぞっとしてしまうが、ウッドコースを広いDコースにしたのも、坂路を延伸するのもそのあたりを考慮してのこと。

 どれだけの因果関係があるのかは分からないが、ウッドコースが広くなった昨年はGIレースで関西馬とほぼ互角の勝負をして、今年はここまで関東馬8勝、関西馬5勝と数字上では勝ち越している。

 ひとつの調教場がなくなってしまうことへの寂しさは勿論あるが、どんな形にしても環境が変わるということは馬にも人にもいい影響があるのかもしれない。

 ちょっと脱線するが、自分が好きで一時期万年Bクラスだった広島東洋カープ。新市民球場、マツダスタジアムができてから5年後にクライマックスシリーズに初進出して、その2年後にはリーグ優勝。他にも日本ハムファイターズは札幌に本拠地を移した2年後に日本一になったのだから、環境を替えることの意義は想像以上に大きいのか。

 おそらく、調教頭数が増えて、仕事は今まで以上に忙しくなることは間違いない。それでも、よりいい馬が育って、それを目の前で見れるかもしれないという期待の方が今は大きい。

 もっと突き詰めると自分自身の生活に関しても、ずっと同じことをするよりはいろいろ環境を変えるなり、リズムを変えてみるのも何かの打開策になるかもしれない。

 いよいよ突入したGIシーズン。秋の2戦はさっぱりだったけれども、少し部屋の模様替えでもして流れを変えてみるか。それでもだめなら……

 まずは菊花賞。絶好調の関東馬2頭でビシッと決めたい。

美浦編集局 氏名 吉田 幹太

吉田幹太(調教担当)
昭和45年12月30日生 宮城県出身 A型
道営から栗東勤務を経て、平成5年に美浦編集部へ転属。現在は南馬場の調教班として採時を担当、グリーンチャンネルパドック解説でお馴染み。道営のトラックマンの経験を持つスタッフは、専門紙業界全体を見渡しても現在では希少。JRA全競馬場はもとより、国内の競輪場、競艇場、オートレース場の多くを踏破。のみならずアメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、フランス、イギリス、マレーシア、香港などの競馬場を渡り歩く、案外(?)国際派である。