インフルエンザの副作用(吉田幹太)

 1月28日月曜日、人生で4回目、そして2年連続のインフルエンザにかかってしまいました。

 その前々日の1月26日の寒い土曜日。東京競馬場の8階、スタンドの外に長くいなければならないことになっていたのに、ついついカイロを入れてこなかったのが命取り。レースが進むうちに足のつま先は感覚がなくなるくらいに冷たくなり、午後になると急に鼻水とくしゃみが出るように。

 これはまずいと思ったのもあとの祭り、帰宅する頃には完全に風邪の症状。この時点ではおそらく、風邪だったと思うのだけれども、翌朝に思ったほど悪化しなかったのをいいことに、日曜の晩に軽く呑みに行ったのが良くなかった。

 一緒に呑んでいた相手は会社ですでにインフルエンザにかかった人が数人あり、おそらく、その友人も保菌していたのではなかったか。弱っている体にそのウイルスが潜り込むのは容易だっただろう。その晩から急に関節が痛み出して、翌朝にはあの覚えのある症状に。

 起きたその勢いで迷うことなく病院に向かい、祈りながらも告げられた病名は「インフルエンザA型」の無情な声。

 かかった人なら分かるかもしれないが、ここからが気が重い。まずは数件、メールではなく、電話をしなければならない。もっとも、これは自分世代の感覚かもしれないが……。とにかく、これで2年続けてかかったことを上司に報告せねばならず、時計班の後輩にも自分の仕事を頼まなければならない。

 その都度、謝って、いろいろ言い訳して、結局は迷惑をかける。情けないな~と思いつつ、こうなるともう部屋から出ずにひたすら眠るしかないのだから覚悟は決まる。

 そして、即効性のある新薬が出たというのだから、これで体は楽になるのだろうと希望も少し出てくる。体が楽になったら、食欲も出るかもしれない。一応、スーパーで食材は買っておかないといけないな。などといろんなことが頭をめぐるのだが……。

 結果的にはこの新薬が自分にはまったく効かなかった。飲んだ日の午後はいくらか楽になったように思ったけれど、翌日には関節の痛みがもどって、体も妙にだるい。その直後くらいにニュースでその新薬が効かない人がまれにいるという話を聞いてひっくり返ってしまった。

 そんなわけで3日ほどはうなされながら過ごして、少し元気になってきたのは木曜日、つまりは4日目の午後。

 この時、真っ先に何がしたかったのかといえば、とにかく1人で公営ギャンブル場に行き、新聞をじっと睨みながら、スタンドであれこれ考えながら検討したいということ。ギャンブルは競馬に限らず、競艇、競輪、オートレースなんでもいい。とにかく、1人でギャンブルをしている姿を思い浮かべて、喜んでいた。

 みんなと呑みに行きたいだの、うまいものを食いたいなどとは思わず。ほかの遊びをしたいとも一切感じなかった。

 あえて言えば、遠くのギャンブル場に列車に乗って出かけて、知らない土地でひとりギャンブルを打つ。これが、自分の本当にやりたいことなのかとその時、痛感した。

 インフルエンザはまもなく良くなり、週末には謹慎も解けて仕事に戻ることもできた。

 しかし、この自分が一番したいことを思い知ることになったのは、いまだに軽く尾を引いている。

 この歳になって独身なのも当然といえば当然なのかもしれない。結局、自分が一番やりたいのは家庭を持つなどということではなく、1人でひそかにギャンブルをすることなんだ。

 病気で寝込んだおかげで、初めて自分のことを考えて、少しは理解できたのではないかと思う。完全な破滅型ではないけれど、どちらかといえば非家庭的な人間なんだ。

 これがいいことなのか悪いことなのかはよく分からないけど、とりあえず、そう認めざるを得ない。

 確かに旅をする時でも大抵の場合はギャンブルがついてくる。それだけが目的ではなくても、日程のどこかに少しはギャンブルをする時間が入り込む。

 宮城出身の自分が東北で唯一、宿泊したことのない県は秋田県。ギャンブルがない。

 他にもギャンブルのない長野県はオリンピックで行った以外は通過するだけ。

 宮崎県も現在のJRAの育成場、旧宮崎競馬場を見に行っただけだった。

 海外旅行でも競馬場のない国には行ったことがない。

 ひょっとするとこのまま寂しく、ひとりぼっちでちまちまギャンブルをしながら朽ち果てるのかもしれない。それが妙に生々しく現実味を帯びてきた。

 愕然としながら、その裏でそんな自分が愛おしくてならなかったりするのだから困ったもんだ。

 いよいよ救いはないのかもしれない。それでも自分のことを理解できたのは大きかった。

 自分の症状が分かれば、いくらかでも対処の仕方がある。

 今後は競馬を極めるのはもちろんだけれども、悩ましい問題に突き当たった時にいい方向に向けられるのではないかという自信も少しは出てきた。

 今後はもう少し腰を落ち着け、ゆっくりと生きて行けるかも。今はそんな予感で一杯です。

 これはある意味、インフルエンザの効果なのかな?

美浦編集局 吉田幹太

吉田幹太(調教担当)
昭和45年12月30日生 宮城県出身 A型
道営から栗東勤務を経て、平成5年に美浦編集部へ転属。現在は南馬場の調教班として採時を担当、グリーンチャンネルパドック解説でお馴染み。道営のトラックマンの経験を持つスタッフは、専門紙業界全体を見渡しても現在では希少。JRA全競馬場はもとより、国内の競輪場、競艇場、オートレース場の多くを踏破。のみならずアメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、フランス、イギリス、マレーシア、香港などの競馬場を渡り歩く、案外(?)国際派である。