祭りのあとの雑感(和田章郎)

 春のGⅠシリーズがひと段落つきました。天皇賞(春)でのオルフェーヴルの大敗は衝撃的でしたが、東京競馬場での5連続GⅠは、それぞれに見応えがありました。特にオークス、ダービー、安田記念は、「しっかりしたペースで流れると俄然中身が面白くなる」という典型のようなレースになった気がします。
 そのこととは裏腹に、この間の入場者の数字は寂しいばかり。オークス、ダービーはお天気が悪かった前年こそ上回ったのですが、それぞれ6万3304人、11万5407人。安田記念にいたっては、前年比割れの5万6798人。90年代半ば、ダービーと言えば当たり前のように15万人以上の来場者がありましたが、その状況はもはや望めないのでしょうか。
 そしてその数字以上に気になったのは、入場した皆さんに「ああ、今日は良い一日だった」と思っていただけたのか、といったようなこと。そりゃさんざん馬券を取られて「いや、でも今日は良い一日だった」と負け惜しみでも笑って言えれば、それは達人の域。自分を含めた一般人に、その境地になれというのはなかなかに無理があります。でも馬券だけではない何らかの、記憶に残って清々しく、或いは気持ちよくなれることがひとつでもあったのだろうか、と。逆じゃなきゃいいけど…と。まあ余計なお世話でしたか。
 というのも、自分のことで言えば、毎年、ダービーのゲート入りを双眼鏡で覗いていると目頭が熱くなるのですが、今年はもうひとつ気分が盛り上がり切らなかったのです。理由はただひとつ。レース前のファンファーレに合わせた大歓声に乗り切れなかった…。
 『年に一度の、サラブレッドの最高の栄誉のかかったレースなのだから厳粛な気持ちで迎えるべきである』てなことを申すつもりはありません。楽曲に合わせた手拍子も、スタンド前発走の3歳馬のレースですけど『育成技術の進歩によって日本馬の気性面が強くなった証』と納得させられて久しいですから。ただ、そこに仲間とカラオケで大騒ぎするかのようなノリまで持ち込まれるとなあ、とシラけただけ。私と同じ感覚を抱いたファンの方は皆無ではありませんでした(確認取ってます)から、余計なお世話をしたくなった次第です。
 こういうこと書くと、いろいろ反論があったりするんでしょうか。ほら、最近しばしば使われる「別に禁止されてることじゃないんだから目くじら立てなくてもいいでしょ」みたいな常套句を盾にして。

 ルールを破らなければ何をやってもいいんでしょうか。禁止事項として明記されていない行為は、何の制約もかかっていない、ということになるのでしょうか。

 数年前の8月6日に、広島の平和記念式典会場の隣で「核兵器の正当性を考える」みたいなシンポジウムが開かれたことが報じられました。
「言論の自由、集会の自由は日本国憲法に認められている」ですもんね。
 焦点である核兵器について言及するつもりはありませんから誤解のないように。ここで取り上げたいのは、人間の行動パターンの決め手になるのは、ルールでOKされてるか否かだけなのか、ということ。心情とか感情とか、そういうものはどこに?
 最近もNHKの経営委員長が東京電力の社外取締役に、という話題がありました。最終的にNHKの役職を退く、ということで決着したようですが、この件でもしばしば目にしたのが、
 「放送法で禁止されていないのだから、いいのではないか」という意見でした。
 “経営”面の理屈で言えば、有能な人材の登用は当たり前。兼任もたくさん例があるのでしょう。でも、報道機関のトップが、いまや最も重要な取材対象となっている企業のトップを兼任するというのは、やっぱり違和感がありました。番組制作者側がどれだけ「報道内容に何らかの配慮をするようなことはあり得ない」と弁明したとしても、恐らく疑惑は拭えないでしょう。わざわざ視聴者である国民を欺くかのような“種”を蒔くことはないと思えますが、それを「法ではOKだから」で通すとしたら、ちょっと浅慮過ぎる印象が否めません。
 だから渦中の人物が下した東京電力の取締役に専念するという決断は、「放送法で禁止されてないのだから」の論理を用いない、人々の心理の方に配慮した、双方にとって賢明で、そして我々にとっても安心できる判断だったように思えました。まあ就業理念について難しい問題がつきまとうのは報道関係に限らないでしょうけど…。

 最近の競馬場の風景に戻れば、しばしば槍玉に挙げられるゴール前の紙吹雪。このところこの行為を禁止する旨がターフビジョンと場内テレビで映し出されています。いかにも小学校の「廊下は走るな」みたいで少し不快にもさせられますが、それはさておき、行きつけの床屋さんのご主人、競馬は未経験のようで「競馬場で一度あれをやってみたいんです」と言うのです。「あれ評判良くないんです。いろいろ不都合が生じるので」と一応の説明はしたのですが、今ひとつピンと来てもらえなかった。捉え方というのは人それぞれ、なんでしょうか?今更ながら難しい…。
 ともかく、競馬場の事象について「良くも悪くもこれが日本の競馬場ならではの風景」と理解し、納得できるかどうか、でしょう。ビギナーだけでなく、むしろディープなファンに嫌気をさされて「1年に1回も行けば十分」と思われては、いよいよ末期的です。
 だから小言だ何だと言われようと、決して安易な正義を振りかざすのではなく、あくまで自分の感覚で気がついたことは訴え続けなきゃならないのかなあ、と。改めて、そんなふうに思わされた12年春のクラシックシーズンでした。

美浦編集局 和田章郎