ときめきの断捨離(和田章郎)

 ここ数年、自分に課しているテーマのひとつに〝身辺整理〟があります。
 いや、特に〝終活〟なんて荘厳な話ではなく、意味もなく長々とその辺に置きっぱなしにしている持ち物-その多くはガラクタだったりする-の処分作業です。それをしないと本当に収拾がつかなくなるんじゃないか、という危機感に駆られまして。

 取り組んでみると、これがなかなか面白い。そしてまた、難しい…。

 まず試しに最初に手をつけてみたのが書籍、雑誌類。
 我が家に置いてあった書籍の多くは文庫本で、その多くを段ボールに入れたまま物置の奥に仕舞い込んでいたわけですが、手始めはそこから。まあ本棚に並べているものでも、改めて手に取って読み直す、なんて本はほとんどありません。だから案外、処分は簡単かな、と安直に考えていたのですがとんでもなかった。

 そもそも本の内容って、細かいところまであまり覚えてないものなんだな、と気付かされることになりました。捨てるものと残すものを選別する際に、チラッと…それこそチラッとのつもりで目を通すと、「あれ?こんな話だったっけ」みたいな作品が少なくない。速読のマネごとができるつもりでザーッと読むことになると、本来の作業が全然進まなくなってしまうのです。えらく時間がかかる。

 そこで対策として考えたのが以下の手順。
 まず第一段階では、本のタイトルを見て、「内容を中途半端にでも覚えているものは確認しない」と決めました。とりあえず記憶の中にあるのであればOK、と。
 次の段階では、「内容をまったく覚えていないものは文庫カバーの裏表紙のあらすじだけを読む」ことにして済ませる。あらすじの表記がない単行本等は、帯か冒頭の章だけ目を通すだけにする。
 ここで注意しなくてはならないのは、まったく記憶にない作品の中には、何故この本を入手したのだろう?と思えるようなものがあったりすること。油断するとつい読みふけってしまいかねず、作者やタイトルを見て、今の自分が興味がないと判断できたものは、思い切って切り捨てる(明らかに家の者が購入したものは一応、相談するとして、です)。
 そして、何度も繰り返し読み直したりしたものの中で、残すものと処分するものを最後に決める。実はこの時が一番、切ないのですが、一方で心が洗われる気分にもなる。それが醍醐味なのかな、とも思います(漫画をイメージするとわかりやすいかも)。

 この手法は、古い古いカセットテープやハイエイトビデオテープ(我が家はこれでしたので)、そしてDVD等にも適用できます。考えてみれば私の場合、音楽モノはずいぶん昔にこれを実行していたことに気付きましたが、映画とかドキュメンタリー作品、或いは競馬を始めとするスポーツの名場面を録画したものとかは手つかずでした。こちらは今まさに実行しているところですが、やはり悩ましいものです。
 とにもかくにも、こんなような手順を踏んで、周りの物を整理処分した時、明らかに心持ちが変わったような気になります。一方で、やはり処分できないでいると、またモノが増えていく…。
 結局のところ、〝身辺整理〟というのは「自分との戦いなのだな」と思わされます。

 そこで思い到るのが〝断捨離〟という言葉。
 ヨーガの思想をベースにした用語が、片付けの極意(?)みたいにして定着しているのも、それが要因なのでしょう。

 「入ってくるモノを〝断〟ち、持っているモノを〝捨〟て、モノそのものへの執着から〝離〟れる」ですか?

 これ、最初に耳にした時は仏教系の用語だと思っていました。一時はブームにもなりましたし、それも頷ける部分はありましたが、修行の一種なのだとすれば、実践するのは難しいのではないか、と思う部分もありました。ヨーガの方から来た用語だと知ってからも、やはりなかなかやり遂げるのは難しいのだろう、と。着手するのが遅くなったのはそのせいか?などと自己分析しつつ、ではここにきて何故楽しめるようになったのか。
 まず年齢的なものがありまして、それともうひとつ、『人生がときめく片づけの魔法』を知ったことがありました。

 何年か前にアメリカのTIME誌が「世界で最も影響力のある100人」に選んだ近藤麻理恵さんという片付けコンサルタント(?)の著作。読んではおりません。
 ただただ〝片付け本〟で話題になっていること、そしてタイトルを見てピンときて、家の者に聞いたみたら、「あぁ、こんまりさんね。発想が面白いのよ」と。

 物凄く単純に言ってしまえば、「自分がときめくモノだけを周りに置く」という一点に集約される、のかな?
 これは前述した修行を思わせる〝断捨離〟よりもはるかにとっつきやすい、のではないでしょうか?そもそも思想からして真逆です。前者が「欲を捨てろ」と言ってるのに対して、「大事なモノ(だけ)は取っておけ」と言ってるのですから。

 まあ「世界で最も影響力のある100人」の提唱したこと。今更ここで仰々しく紹介するつもりはありません。
 ただ、実は以前から身辺整理とは関係なく、個人レベルで採用している「セレクト3方式」という考え方に酷似している、と感じたのです。「そうか〝セレクト3方式〟は片付けにも応用できるんだな」という気付きをくれたということで、俄然、身辺整理が楽しくなったのです。それで今回、取り上げさせていただきました。
 〝断捨離〟そのものに〝ときめく〟ようになった。それで今回のタイトルに、私発信の〝造語〟として使わせていただいた次第(私発信は認めてもらえないかさすがに)

 しかしながら…。
 とは言うものの、会社の机周りの資料やなんかの整理は時間がかかります。そもそも競馬関連本の場合ですと、ときめいたからこそ入手したモノばかり。その選別は大変に決まっています。一回読んでそれっきりというモノから順に、と思ってはいますが、悪戦苦闘の最中。でも、この際にも「セレクト3方式」は使えるはずなんです。

 詳しい話は次回に回すとして、とりあえず〝ときめきの断捨離〟、実践してみてはどうでしょうか。このコロナ禍、そう考えてみるだけでも、気持ちが楽になってくるかもしれませんから。

美浦編集局 和田章郎

和田章郎(編集担当)
昭和36年生 福岡県出身 AB型
1986年入社。編集部勤務ながら現場優先、実践主義。競馬こそ究極のエンターテインメントと捉え、他の文化、スポーツ全般にも造詣を深めずして真に競馬を理解することはできない、がモットー。再発した花粉症と、緊急事態宣言が解除された後をどう過ごすのかに悩みつつ、いろんな意味での〝片付け〟に追われているところ。