おうし座とふたご座(赤塚俊彦)

 「何だか札幌に魂を置いてきてしまったみたいだね」

 

 指揮官はそうぽつりと呟く。そんな予感がなかったわけでない。しかし、実際に言葉に出すと本当にそうなのではないかと思わせるほど、あの日を境に順調に回っていた歯車は止まり、やがて逆回転していった……。

 

 トーラスジェミニが7月12日付けで競走馬登録を抹消した。通算成績は43戦8勝。GⅠ安田記念で5着し、巴賞、ディセンバーS、東風Sとオープン、リステッドを3勝。七夕賞でGⅢ勝ちと、その成績は堂々たるものと言っていい。逃げ、先行馬として活躍したトーラスジェミニだが、デビュー時から先行できたわけではない。そのいきさつは以前当コラムでも取り上げたので、割愛させてもらいたい。今回はその続きとなるので、まだ読んでない方はそちらを先に読んでいただくと幸いだ。

 

「ルーツは名手にあり」(2021年10月6日付け 週刊トレセン通信)

https://column.keibabook.co.jp/trrepo/3885/

 

 

 さて七夕賞を制して重賞ウィナーの仲間入りを果たしたトーラスジェミニの次走はGⅡ札幌記念。ここでの結果次第では「サマー2000シリーズ」優勝も見えてくる大事な一戦だ。戸崎騎手が先約の関係で札幌に来られず、鞍上にはその年の函館記念を制すなど活躍していた横山和生騎手に白羽の矢が立った。初コンビとなるが、「以前から乗ってみたいと思っていたんです。イメージは掴めています」と頼もしい言葉。新たなパートナーを背に、その日も果敢にハナを切って軽快に逃げたトーラスジェミニだったが、3コーナーでソダシ、ブラストワンピースに交わされると手応えが怪しくなり、直線ではばったりと止まってしまった。さすがにGⅡでは荷が重かったかと落胆したレース後、鞍上に話を聞いたところ「道中は凄くいい感じだったんです。よしよしと思ったんですけどね。3コーナーでソダシとブラストワンピースに外から来られたら、馬がヒルんでしまって……。最後はバテたというより、気持ちが切れてしまった感じでした」と語ってくれた。「相手はまだ3歳の女の子なのに、古馬をヒルませるなんてさすがはGⅠ馬だなあ。まあ、また次回期待しよう」などと当時は私も言っていたのだが、この一戦がトーラスジェミニに与えた影響は果てしなく大きかった。

 

 それからというもの、ソダシに与えられたプレッシャーに心を折られてしまったか、トーラスジェミニは先行して自分の形で運んでも持ち前の渋太さが影を潜め、踏ん張れない競馬が続くようになってしまう。「調教の動きは変わらずにいいんです。さすが重賞を勝っている馬だなという感じで、どこが悪いとか、どこかが衰えたなんてこともありません。ただ……1頭で走っている時は凄くいいんですが、横に馬が来るとハミが抜けてしまう面が出てきました。今日はハミが抜けてしまった、今日は最後までハミを取って走れていたという感じです」と調教をつける高野舜調教助手も一進一退の手応えだった。

 

 勿論、厩舎とてただ手をこまねいていたわけではない。併せ馬で慣らせ、気持ちが続くよう時にはブリンカーを着け、時にはマイルに距離を詰め、気分転換のために交流重賞でダートも試した。原優介騎手が手綱を取った2022年のダービー卿チャレンジトロフィーでは「今日は最後までやめる面は見せなかったです。良くなってきそう」と光が見えたもの、一度狂った歯車はなかなか好転しなかった。

 

 心身ともに完全にオーバーホールさせるために半年以上休ませたが、復帰後はとうとう身につけた先行力も出せず、出遅れるように。陣営の苦労の甲斐なく、離れた後方まま競馬に参加すらできない、直線で大きく離されて入線する様子はとても見ていられなかった。

 

「何だか札幌に魂を置いてきてしまったみたいだね」

 

 小桧山調教師が思わずそう呟く。いよいよ進退をかけた話が出始めると、何とかいい頃を思い出してほしいと、かつてこの馬で4勝を挙げた木幡育也騎手と再コンビを結成。調教からつきっきりで跨らせた。

 

「新潟大賞典が最後になるかもしれない」

「エプソムCは使おうと思う」

「七夕賞が正真正銘のラストラン」

 

 悪あがきと言えばそうかもしれない。それでも、かつて3着と好走したエプソムCで、自身が最も輝いた七夕賞で復活に賭けた。

 「とにかく、この馬らしい競馬をしてほしいよね。最近は前に行けてないから、何とか逃げて、あるいは先行して、それでどこまで粘れるか。そういった競馬を見せてほしいね」と佐藤昌夫厩務員。筆者も「もう一度だけ頑張って」とトーラスジェミニに声をかけた。

 

馬房でのトーラスジェミニ(エプソムCを控えた5月31日撮影)

 

 しかし、残念ながら結果は知っての通り。エプソムCも七夕賞も好位につけて流れには乗れたものの、もうそれが精一杯だった。七夕賞では馬群に囲まれると3コーナーを前に手応えが悪くなり、ズルズル後退。15着のサンレイポケットから大差離されたシンガリ負けに終わった。森泰斗騎手に闘争心を注入されたはずのトーラスジェミニは、以前の大人しいトーラスジェミニに戻ってしまっていた。

 

 あの日、札幌記念を使わなければどうなっていたか。それは誰にもわからない。七夕賞を勝った馬が札幌記念に駒を進めるのはローテーションとしては自然であり、ましてサマー2000シリーズ王者がかかっていたのであれば尚更。こればかりは運がなかったという他ないが、それも競馬だ。いかに馬もレースも生き物であるかがわかる。こういったケースはテレビゲームのイベントにはない。

 

 やれるだけのことはやってきた。悲しいが、それが必ず結果に結びつくほど、現実は甘くなく厳しい。競馬の神様が最後にトーラスジェミニと小桧山厩舎に微笑むことはなかった。しかし、無事にラストランを終え、重賞勝ちを含めた競走生活を全うすることができた。やってきたことは無駄ではない。ラストランを終えて引き揚げてきた木幡育也騎手と待っていた厩舎スタッフに浮かんでいたのは安堵の微笑み。それがすべてを物語っていた。

 

ラストランを終えたトーラスジェミニ 木幡育也騎手、佐藤厩務員、高野助手も笑顔(7月9日撮影 ともみさん提供)

 

赤塚俊彦(厩舎取材担当)

1984年7月2日生まれ。かに座。千葉県出身。2008年入社。美浦編集部。

Twitterやってます→@akachamp5972

 

 トーラスジェミニの物語、前回コラムで取り上げた時には、まさかその続きの後編をこうして書くことになるとは思いませんでした。成績だけを見ると、まさに山のような曲線。晩年は厳しく、苦しい競馬が続いてしまいましたが、どうしてそうなってしまったのか、そして何とかその一等星の輝きを取り戻そうと陣営が苦心したことを知ってもらいたくて、今回記事を書いた次第です。

 ちなみにラストランとなった七夕賞当日、私は函館にいたため、レース後のお写真はツイッターのフォロワーであるともみさんに提供してもらい掲載させていただきました。ご協力ありがとうございました。

 さてそのトーラスジェミニは小桧山調教師と関係者の尽力あって、引退後は福島競馬場で誘導馬になることが決まっています。去勢手術を施され、誘導馬としての訓練を受けた後デビューとなりますので、是非会いにいってあげて下さい。福島競馬場にはヨシオやクレッシェンドラヴもおり、「2020年のジャパンカップ仲間だな」と小桧山先生も喜んでいました。もともと大人しいトーラスですから、いい誘導馬になるはずです。

 まずはお疲れ様、トーラスジェミニ。

 

カイバを食べるトーラスジェミニ 次の仕事に向けてまずはゆっくり休んでもらいたい(エプソムCを控えた5月31日撮影)