名脇役の輝きは色褪せず(赤塚俊彦)

 夏のある日、札幌競馬場に滞在している時に手に取った競馬雑誌の1ページに目が留まった。そこに映っていたのは1頭の馬と大学生。「懐かしいな」と思うとともに、ちょうど数カ月前の春、たまたまその馬の話になった時に聞いたあるひと言を思い出した。

 

 

 そこには現在、神戸大学の馬術部に在籍し、「凌星(リョウセイ)」という名で活躍するベンチャーナインと、同大学の学生である木下凛太郎選手との出会いが綴られていた。最近競馬を始めたファンの中には知らないという人もいるかもしれないが、ベンチャーナインは2007年夏の新潟でデビューした元中央の競走馬。12番人気の人気薄ながらデビュー勝ちを収めると、京成杯2着やプリンシパルSで優勝。有馬記念でもダイワスカーレットやマツリダゴッホとともに走り、芝の中長距離路線のバイプレーヤーとして活躍した。

 

 凄いのは3歳時のその経歴。年明けから京成杯2着、弥生賞、スプリングS、皐月賞を経て、プリンシパルSで勝利。ダービーへの切符を獲得し、神戸新聞杯、菊花賞、ステイヤーズS、有馬記念と1年で10戦を走り抜いた。最近は弥生賞とスプリングSを両方走るだけでも珍しいが、そこから皐月賞を走った後にプリンシパルSで勝利するというのだから、そのタフネスぶりには頭が下がる。そのベンチャーナインの全21戦のうち15戦で手綱を取り、主戦を務めたのが武士沢友治だった。

ベンチャーナインの競走成績 2008年は1年間で10戦を走り抜いた

 

 記事を目にする数カ月前、春に美浦トレセンで武士沢騎手と話をしていると、たまたまベンチャーナインの話題になった。「ベンチャーナインには助けられたよ」武士沢騎手はこう呟いた。

 

 「武士沢騎手のお手馬は?」といえばアルコセニョーラやマルターズアポジーが思い浮かぶが、おそらく多くの人が「トウショウナイト」と答えるであろう。当時「ナイト(騎士)に武士(武士沢騎手)が乗っている」と話題になったその馬は2006年のアルゼンチン共和国杯を勝ち、武士沢騎手に初めての重賞勝ちをプレゼント。日経賞やAJCCで好走するなど、こちらも芝の中長距離路線の名脇役だった。事件が起きたのは2008年4月30日。春の天皇賞に向けて調整していた同馬は調教中に故障を発生。残念ながら予後不良と診断され、帰らぬ馬となってしまった。苦楽を共にした相棒の死に武士沢騎手が落胆したのは想像に難くない。その時、新たなパートナーとして騎手を支えたのが他ならぬベンチャーナインだった。

 

 トウショウナイトの死から僅か10日後に行われたプリンシパルS。皐月賞から中2週で挑んだベンチャーナインは10番人気の低評価ながら直線一気の追い込みを決めて優勝。大逃げを打って粘るアグネススターチを捉え、見事、自らの手で日本ダービーへの切符を掴み取ったのだ。この勝利により、武士沢騎手は初めて日本ダービーでの騎乗を果たすことになった。

プリンシパルSで差し切り勝ちを収めたベンチャーナイン
当時の口取りの様子
笑顔の武士沢騎手と隣で温かく見守るベンチャーナイン

 

 「トウショウナイトが死んでしまった時は本当にショックで・・・。もう騎手を辞めようと思ったくらい。でも、そんな時にベンチャーナインが頑張ってくれてダービーに連れていってくれた。素直な馬だったよ。特に夏を超えて神戸新聞杯で4着した時は凄く馬が良くなっていて、菊花賞でもこれならと期待したんだ。それだけにあの菊花賞の敗戦は悔しかった。それでも、皐月賞、日本ダービー、菊花賞とその年の三冠すべてに参加できたことは凄く励みになったし、また頑張っていこうと思えたんだ。救われたよね」

 

 武士沢騎手はそう当時を振り返る。ベンチャーナインはその後、重賞でも健闘したが、残念ながら勝利を挙げることはできず。足元の不安もあり5歳の秋を最後に競走馬を引退した。そう考えると、あの時のプリンシパルSの最後の直線は失意に飲まれる武士沢騎手のため、トウショウナイトが後ろから背中を押してくれたのではと、ふと思ってしまう。

 

 引退後のベンチャーナインは立教大学の馬術部を経て神戸大学へ。冒頭に記した活躍へとつながる。秋になり、件の記事を手掛けたカジリョウスケ氏から、ベンチャーナインが全日本学生馬術大会への出場を決めたとの一報が届いた。その旨を武士沢騎手に伝えると、「それは良かった。ベンチャーナインは足元さえ保てばもっともっといい結果を出せたと思うんだ。それでも、そうやって第二の馬生として、新たな分野で活躍できているのは嬉しいね」と微笑んだ。

 

 ひとりの騎手のピンチを救い、支えとなった同馬は今年18歳になる。いつまでも元気で、多くの人を勇気づける活躍を祈りたい。

 

トウショウナイトとベンチャーナインについて語る武士沢騎手(10月19日 美浦トレセンにて)

 

赤塚俊彦(厩舎取材担当)

1984年7月2日生まれ。かに座。千葉県出身。2008年入社。美浦編集部。

X(旧Twitter)やってます→@akachamp5972

 

 競走馬を引退した後に馬術の道へと進む馬は少なくありません。昨年の全日本学生馬術大会にはかつて障害重賞で2勝したサナシオンも出場したようです。今年の全日本学生馬術大会は来月11月1日から6日まで三木ホースランドパークにて開催。凌星ことベンチャーナインは2日の木曜日に出場します。カジ氏を経由し、木下凛太郎選手からは「最後の大会、ベンチャーナインと共に楽しく頑張ります」と意気込みが届きました。詳細は全日本学生馬術連盟のHP、X(旧Twitter)をご覧下さい。

 

 今回のコラムを書くにあたり、協力頂いたカジリョウスケ氏、弊社画像部、武士沢友治騎手にこの場を借りてお礼申し上げます。特に武士沢騎手は掘り起こされたくない辛い過去の話であったと思いますが、追加取材に丁寧にお答えいただき、今回のコラムの掲載許可を頂きました。

 武士沢騎手のトウショウナイトやベンチャーナインのような新たなパートナーとの出会い、ベンチャーナインと木下選手の健康と活躍をここに願い、いつまでも応援していきたいと思います。